総計: 1624117  今日: 57  昨日: 165       Home Search SiteMap E-Mail Admin Page
藻知藻愛(藻食文化を考える会)
日記
コラム
坂村真民先生の詩
もっと藻の話
マイクロアルジェ
 
 
 過去のもっと藻の話 
  自己紹介
    この稚拙なHPは誰の? と問い合わせがあったので・・・
  藻食文化を考える会
    藻食文化を考える会を立ち上げました
  講演会のお知らせ
    日本学術振興会181委員会
 「330000」を目指したいと思います!
「330000」
 
  黄金色に輝くヒカリモ
  黄金色に輝くヒカリモ

名古屋城の逍遥(しょうよう)

 近年、ある種の藻が免疫作用を高めたり、抗ウイルス作用を持つことが分かってきた。これらの藻を使って健康食品を作っているある会社の主催する講演会が、98年に名古屋であり、私も参加した。富山から美しい風景の続くJR高山線に乗り名古屋に着いたが、講演までには時間があったので、会場に近い名古屋城を見学した。広大で美しい城内は、雨上がりのせいか人影もまばらで、数寄を凝らした庭園や天然記念物の榧(かや)の大木などを見ながら逍遥していると、なかなか気持ちが良い。大きな天守閣や堀は、遠くから見ると華麗でありながら、どっしりとしている。近寄って見ると、天守閣や堀の石組みは力学的に非常に合理的で美しく、安定感があり、400年近い年月を経た今日でもびくともしない。
 ヨーロッパの名城の多くは貴族の住まいとか別荘として発達した様で、人里離れた田舎や山の上に贅を尽くした美しい建物が建っていたりする。これに対して、日本の城は大名や臣下の住まいではあったが、平時は政治・商業の中心地であり、戦時は前線基地ともなった。多くの用途を持たせた条件の中で、よくこれだけ芸術的に美しい城を作れたものだと感心する。豊臣秀吉は城攻めの名人であったが、同時に築城の名人でもあり、日本を統一した。その配下の武将には築城の名人が多いが、名古屋城を作った加藤清正は、城作りにも抜群の技量を発揮したのである。
 天守閣の中に入ると、階下の薄暗い土間に、「黄金水井戸」と言う名の大きな井戸があった。築城の際、井戸を掘ったが水が枯れた。そこで、清正はこの井戸に黄金百枚を沈めたところ、水がこんこんと湧き出たという。


ヒカリモについて
 井戸の中に金貨を沈めたとか、逆に井戸から金貨が出たと言うような伝説は、他にもいろいろあるようだ。東京の小金井にもそのような井戸があったのではないか、と私は思う。
 黄金に関する伝説のある場合、その正体はヒカリモと言う黄金藻類に属する藻の場合が多いのではないだろうか。ヒカリモは、長さが10ミクロン(1ミクロンは千分の1ミリ)ぐらいの楕円形の細胞で、細胞と同じぐらいの長さの毛を一本持って泳ぐ。ヒカリモの葉緑体は黄色で、繁殖すると細胞どうしがくっついて水面に浮かび、僅かな光も反射するので、まるで金粉をまぶしたように黄金色に輝く。その上、毒も匂いもないので喜ばれる。アオコも、発生すると水面に緑色の抹茶をまぶした様に美しいが、アオコはミクロキスチンという毒素を持ち、臭いので嫌われている。
 ところで、藻類の分類には光合成を行う色素として何を持っているかが大きな基準になる。例えば、アオミドロのような緑藻類は、陸上植物同様、光合成色素としてクロロフィルaとbを持ち、デンプンを合成する。これに対し、黄金藻類の仲間は、クロロフィルaとc、フコキサンチンなどを持ち、光合成を行いラミナリンを生成する。これは、昆布やワカメ、モヅクのような褐藻類と同じである。
 電子顕微鏡で見ると、黄金藻類や褐藻類の細胞は、葉緑体が特別な二重の膜で囲まれていることが分かった。また、御存じの様に、遺伝物質のDNAは四種類の塩基で出来ている。その塩基の配列を調べて見ると、黄金藻類と褐藻類は互いによく似て近縁である事も分かってきた。
 これらの事から、昔々の大昔、藻がゾウリムシのような原生動物に取り込まれ最初の共生体を作り、それがもう一度原生動物に取り込まれ、二番目の共生体を作った。これが黄金藻類や褐藻類の先祖であろうと推定されるようになった。
 ヒカリモは涼しく暗い場所が好きで、樹木に被われた暗い池とか、洞穴の水溜、井戸などに住んでいる。世界各地に分布するが、日本では千葉県富津市竹岡の黄金井戸で最初にヒカリモが発見され、毎冬発生するので天然記念物に指定されている.東京駅から総武線に乗って房総半島を南下すると、上総湊(かずさみなと)と言う駅がある。付近は海苔の養殖が盛んな漁村である。駅から10分ばかり歩くとヒカリモの生息する洞窟があって、祠が建っており、天然記念物の由来を記した立て札がある。私が訪れた96年3月末には六帖位の広さの薄暗い洞窟の水面に、まさに黄金色のヒカリモが輝き、神々しい程であった。

富山のヒカリモ
 富山県にもヒカリモの生息地があった。婦中町の常楽寺で、私は十数年前に黄金色に輝くヒカリモを見た。その後、1994年のことであったが、このヒカリモに再会しようと思い常楽寺を訪れたところ、寺の筈だったのにお稲荷さんに変わっていた。境内の風景が一変したので、狐に化かされて場所を間違えたかと不安になった程である。鬱蒼と茂っていた樹木は伐採され、近くの池は埋め立てられて駐車場になり、明るい参拝所が出来ていた。ヒカリモの住んでいた井戸の前にはヒカリモを祀る新しい鳥居が建っていた。この井戸水は古来加持祈祷に使われた事もあってか、富山県が県の百名水の1つに指定し、立て札も建てた。黄金色のヒカリモは、信者や参拝客を集める道具にされたようだ。
 ところが、このような環境の変化は暗い所に好んで住むヒカリモには大迷惑で、ヒカリモは姿を消してしまった。社務所の人に聞いてみたら、バツが悪そうな笑いを浮かべ、この頃見られなくなったと言っていた。念の為に水を少し汲んで学校に持ち帰り、薄暗い場所に置いてみたが、ヒカリモは発生しなかった。あまりの環境の変化にヒカリモが消滅した様だ。自然の法則を無視した俗な人間の願いがお稲荷様に届かなかったのは何とも皮肉な話だ。

研究室で復活したヒカリモ
 富山ではヒカリモが消滅したかと残念に思っていた矢先、私の研究室で黄金色に輝くヒカリモが偶然に復活した。私はミカヅキモの研究をしているが、近くで泥と一緒にミカヅキモを採取し、水槽に入れて薄暗い部屋に置いていた。2〜3週間経った頃であったか、何か水面が黄金色に輝いている。よく見るとヒカリモであった。その後、水槽に時々水を足し、干乾びない様に気を付けていたら、夏を越して1年以上にわたって光り続けた。皮肉好きのお稲荷様が、黄金にはとんと縁の無い私に、黄金藻を贈って下さったのかも知れない。

1999.08

クョスコニョ    [1] 
 前のテキスト: ワカメあれこれ
 次のテキスト: 昆布今昔物語
 
EasyMagic Copyright (C) 2006 藻知藻愛(藻食文化を考える会). All rights reserved.