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接合藻三題話

カワズは藻につれ、藻は美女につれ

カワズが跳び込むような古池とか湿地の水辺のあちこちには、秋から翌春にかけて、藻が繁茂して薄緑色になった水たまりをよく見かける。その緑色になった水を掬い上げて、顕微鏡で覗くと、中には多種類の藻が見つかる。それらに混じって、近年随分少なくなったが、扇子を2個合わせた様な形をしたアワセオオギ(合わせ扇)と言う緑色の藻が、まれに見つかることがある。アワセオオギは、既に1848年、イギリスで出版された藻類学の古典、英国のチリモ類(British Desmidieae, Ralfs 著、Jenner 画)に、見事なカラー印刷で登場する。以来、アワセオオギは際立った美しさから、多くの藻類学者を魅了してきたが、私もこの藻が見つかると、思わず息をのみ、美女に会ったような心持ちになる。
アワセオオギの学名はミクラステリアス。ラテン語で「小さな星」を意味し、和名はクンショウチリモと名付けられていた。しかし、既にクンショウモやチリモは他の属の藻に付けられており、植物学者でも混同する人が結構いて紛らわしい。それに日本の勲章は、職業や身分で勲何等と細かく30数段階にも人を差別していて、私の性に合わない。また人物判断基準は、政府にどれだけ尻尾を振ってきたかを表しているようで、疑問と矛盾に満ちている。そこで、私はこの藻をアワセオオギと改名した。
アワセオオギを初めとして、ミカヅキモ、チリモ、ツヅミモなど美形の多いこの仲間をチリモ類(デスミッド、Desmids)と呼ぶ。チリモ類は、比較的貧栄養で農薬や環境汚染物質がなく他種類の藻が住める綺麗な環境に住んでいる。
人間は適応力がかなりあり、汚染の進んだ公害だらけの場所にも沢山の人が住んでいるが、本当はアワセオオギが近くにいるような綺麗な環境に住めば、身も心ももっと美しくなるような気がする。

イネは藻につれ、藻は水につれ
日本の多くの田圃では、稲の植わっている間は稲に占領されて地面が日陰になり、そのうえ農薬や肥料が濃すぎる為か、あまり藻が見られない。しかし、環境汚染物質が少なく、有機肥料を使っている田圃だと、稲刈りの終わった秋から翌年の春までは、大変きれいな藻が見られる事がある。
今から十年以上前のある秋の昼下がり、私は近所の田圃にぶらぶら出かけ、水中の藻をピペットで吸い取り、それを手のひらに載せてルーペで見ていたところ、畦(あぜ)道でお百姓さんに会った。「何しとんがけ?」と富山弁で聞かれたので、こちらも「藻を見てるんや。藻を見てると、田圃がええか悪いか、農薬を撒き過ぎやないかも分かるんや」と京都弁で答えて、藻についていろいろ説明した。すると、「うちの田圃も見て呉れんか」と頼まれた。面白そうなので引き受けると、農作業用の泥まみれの軽トラックの狭くて汚い助手席に乗せられ、少し離れた田圃に連れて行かれた。早速田圃に入って見ると、大部分はホシミドロなどの接合藻(せつごうそう)がいるか、または水さえあれば生えてきそうな感じがした。ところが、田圃の奥の道に面した左側の一角は水があるのにホシミドロなどが生えてない。雑草さえも生えてない。そこでお百姓さんに、「この田圃はだいたい収量が良いけど、この一角は収量が悪くて病気も出やすいのんと違う?」と尋ねてみた。すると彼は驚いて、「う−ん、その通りやけど、何でそんなこと分かるんがけ?」と聞く。そこで、ルーペでホシミドロを見せながら、「ホシミドロのような藻と稲は似たような環境に住むさかいに、稲の無い季節でも、稲の収量の予測が付くんや」と言ったら、えらく感心して呉れた。
よく見ると、その付近は鉄を含んだ赤水が出る。毎年稲の病気がそこから発生すると言う。年によってはかなり広がるそうだ。農薬をまいても完全には押さえられないという。農薬と言うのは結局毒物なのだから、農薬をたくさん撒けば藻の発生も悪くなるし、稲の生育にも悪い。長い目で見ると田圃全体が傷む筈である。要するに、赤水の排水をしなければ駄目である。それで、「赤水の出る所は畦道に近いし、畦道の下に排水溝を掘って、赤水が田圃に流れ込まんようにしたらどうかな」と助言をした。すると、「その通りやけど、金もかかるし・・・」とか何とか言って、えらい消極的である。それで、「このままやったら毎年毎年減収になるし、農薬代もかさむし、長い間には田圃も汚染される事を思えば、いま改修した方が安いのんと違うかな?この田圃を一度改修したら、田圃は良うなるし、子々孫々にわたって得するんやけど」と言った。ところが、このお百姓さんは、末代の事は念頭にないのか、それとも、子孫に美田を残したくないのか、全く乗り気でない。私は自分の田圃でないから、残念ながらそれ以上には勧められなかったが、とても残念であった。

人は鮎につれ、鮎は藻につれ
越中の国主、山上憶良の歌に、「立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神(かむ)からならし(立山に降り積もった雪は夏中見ていても飽きない。神の名に背かないな、万葉集 4001)とか、「婦負(めひ)川の 早き瀬ごとに かがりさし 八十(やそ)伴の緒(とものお)は 鵜川(うかわ)立ちけり(神通川の早い瀬ごとにかがり火を焚いて、沢山の官吏達が鵜飼いをしているな、同 4023)とか、「片貝(かたかひ)の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む(片貝川の瀬は清く行く水は絶えないが、その様に絶えず通って来て(立山を)見よう)(同 4002)とあるように、富山の自然は美しく、見飽きる事がない。山々からは庄川、神通川、常願寺川などの大きな川が流れ、河口付近では川幅が数百メートルにもなる。神通(じんづう)川は岐阜県に端を発し、富山市の中央を貫き、富山湾に注ぐ大河で、その支流には井田川という川幅が150メートル程の川がある。
さて、既に20年程前の事であるが、井田川上流の、おわら風の盆で有名な八尾町から神通川の河口までの約25キロにわたり、川の水質と藻の分布を、学生と一緒に調べた事がある。調べた項目は、第一に藻類繁殖の栄養塩である窒素、リンなどの濃度。第二に、水の腐り易さ(腐水性)、つまり有機物の量を表す指標の細菌数、BOD、CODなど、第三に、ミカヅキモや珪藻など幾つかの藻の分布である。
井田川の途中には日産化学と言う大きな化学肥料工場があり、排水を流している。この排水には窒素やリンなどが大量に含まれ、排水口の下流では急にこれら栄養塩の濃度が上昇していた。ミカヅキモについては、この排水口から3キロ程下流までは生息しているのに、この排水口の上流や3キロ以上の下流には居なかった。ミカヅキモの分布と栄養塩や有機物の量を比べると、窒素がミカヅキモの分布を決める要因と推定された。
そこで、実際にミカヅキモを採集して、窒素の濃度をいろいろに変えて成長を調べてみると、丁度、ミカヅキモの分布する区域の窒素の濃度で、採集してきたミカヅキモがよく増殖することが分かった。同じ事をリンについて調べてみると、実際の川でのリンの濃度は、どこでもミカヅキモの生活にとって充分な量で、分布を決める要因では無いことが分かった。このような実験と観察から、ミカヅキモが分布していたら、窒素やリン、その他いろいろな栄養塩の濃度が大体どのくらいなのか、見当が付くようになった。
それからしばらくして、井田川や神通川をまた見に行った。季節は六月。アユも解禁され、大公望が竿(さお)を下ろしている。何気無く井田川を見ていると、ミカヅキモがたくさん分布する所には、たくさんの釣り人が密集している事を発見した。つまりあの化学肥料工場の排水口の地点から三キロ程下流まで、それもまさにあのミカヅキモが沢山いたところに太公望も大勢分布していた。恐らく、アユは直接的または間接的にミカヅキモを食べているのであろう。
そんなわけで、それからはアユ釣りの人が大勢いると、「あそこには、ミカヅキモやその親戚の藻が元気に生活していて、世の中の役に立ってるな」と思うようになった。
このように、大自然の中で生活している藻は、彼等が生活している環境条件がどんな状態であるかを我々に教えて呉れる。また、釣り人のように大自然と深く関わっている人々は、アユや藻の分布のような身近な自然の有り様を、我々に教えてくれる。
文明が大河の周囲に発達したのも、超人間的な存在から見れば、我々人間の好む生息環境を表している。しかし、産業の発達と多様化に依り、人間は本来人間に合わない自然環境に進出し、その環境を変えて住み、環境の指標生物ではなく、経済の指標生物になってきた。しかし、結局人間は自然を離れて生活出来ないし、自然の中の都合の良い一部だけを切り出してきて、その中で永く生活することも出来ない。まして、自然をすべて人間に都合良く作り替えてしまう事は出来ないだろう。だとすれば、我々はこの地球がもっと住み易くなるように、自然を壊さない様に心する必要がもっともっとあるのではないだろうか。

1998.08

クョスコニョ    [1] 
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