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ウミブドウ(クビレヅタ)

思い出のディズニーランド

 私は30歳前後の約2年間を、アメリカのペンシルバニア大学の陶山義高先生の御世話になって暮らした。帰国する前に友人と西部の国立公園を車で回り、最後にロサンジェルスに住んでいる叔母に連れられ、ディズニーランドに行った。ディズニーランドについては子供の遊園地ぐらいにしか思っていなかったが、実際に行ってみると、アイディア一杯の遊びに満ちていて、意外と言うべきか当然と言うべきか、とても楽しかった。しかし帰国してからは、アメリカの資本家を儲けさせる為に東京ディズニーランドに行く事はないとか、そもそも千葉県にあるのだから「千葉ディズニーランド」と言うべきだとか、日本人なら日本の深い文化を理解する方が遥かに重要だ、などと言って行かなかった。
 ところが数年前、私はMACの竹中裕行社長のお陰で「千葉ディズニーランド」に行くことになった。行ってみると、案外と言うべきか、当然と言うべきか、とても楽しかった。特に、ジェットコースターが良かった。それまで一面識もなかった、竹中社長の友人の、あるご婦人と偶々一緒にジェットコースターに乗ったのである。年の頃は20代??。後で聞いた話では、彼女の子供は二人とも大学を卒業。ご主人は定年後別の会社に居られるとか。どう考えても20代の筈はないが、私はジェットコースターが動き出して以来ずっと、彼女は20代だと思っている(?)。と言うのは、私はジェットコースターの急な回転や上下運動にも少なからず驚いたが、激しい運動のたびに、彼女がまるで20代の娘の様な、絹を引き裂く様な高い叫び声をあげて、私の左腕にしがみついて来た、ではなくて、しがみついて下さった、のにはもっと驚いた。頭が、クラクラとしてボーッとなり、今でも彼女は20代の娘さんだと誤解(?)したままだ。

突然の沖縄行き
 10月末、富山も急に寒くなり、風邪を引いてこもりがちだった頃、20代の娘さんから沖縄行きの団体旅行でキャンセルが出たので一緒に行かないか、とお誘いを受けた。誤解が元で友情が芽生えたようだ。家内に相談したら、是非行けと勧めて呉れる。
 沖縄には数回行ったが、印象が深い。それに、沖縄産の海藻のウミブドウやオキナワモヅクの養殖の研究を成功させて、当時沖縄県庁におられた当真武博士に再会し、海藻について伺いたいとずっと思っていたので、渡りに船ならぬ、渡りに飛行機であった。
 広島を飛び立ち那覇に着いたら、初夏のような爽やかさ。本州ではセーターを着てストーブをつけていたのに、沖縄の観光バスにはクーラーさえ入っている。濃い緑の葉を付けた赤いハイビスカスやブーゲンビリア、桃色の夾竹桃や芙蓉に似たトックリキワタの大きな花、まさに黄金色のオウゴンカヅラ等々、亜熱帯の花が11月の街に美しく咲き乱れる。また、トックリヤシ、アダン、サトウキビ、バナナなどもあちこちに見られる。

ウミブドウの養殖と分布
 最近、沖縄県の土産物屋で売っていて、海のキャビアとも言われるウミブドウ(写真)は、イクラのようにとろっと粘りけがあり、つぶすとプチプチとして舌触りが良く、美味しい。
 ウミブドウの養殖は、沖縄県水産試験場に居られた当真さんや恩納村の漁師達が協力して開発された。ウミブドウの養殖は管理が大変だ。養殖場は、天井の高い大きなビニールハウスだった。土曜日に訪問したが、10人ぐらいの人が働いていた。根気と労働力がいると言う当真さんの話が、実際に見て分かった。また、水質管理も大変だと思う。
 ウミブドウの仲間、イワヅタ属の原産地は熱帯・亜熱帯の栄養に富んだ海である。ウミブドウは、東南アジアのフィリピンからミクロネシア、マーシャル諸島、キリバス、グアム、ハワイなどの南太平洋諸島、オーストラリア、そして紅海などにも産すると言う。沖縄県の波照間島、与那国島、宮古島、久米島、沖縄本島などは、当真さんによれば分布の北限である。今回、自然条件下でウミブドウを産する宮古島の与那覇湾も見たが、緑を基調とした七色に輝く周辺の珊瑚礁の海とは異なり、やや灰色で濁っていた。当真さんによると、与那覇湾は、珊瑚礁で出来た宮古島に降り注いだ雨が富栄養の地下水となって湧出する海域なのだそうだ。

ウミブドウの生活
 ウミブドウは正式和名をクビレヅタ、学名はCaulerpa lentillifera と言う海産緑藻で、Caulerpaは茎が這う、を意味する。実際、直径が2mm程の枝が海底の岩や珊瑚礁の上を這って伸びる匍匐枝(ほふくし)があり、その匍匐枝からブドウの房のような、ウミブドウとして売られている葉状部が海中で上に伸びる。この葉状部の先端に直径2-3mm、飛び魚の卵ぐらいでブドウの粒の様な形をした小枝(しょうし)と呼ばれる生殖器が出来る。これらを合わせた全体は、時に1mを越える多核の1個の細胞となっている。
 顕微鏡でウミブドウを見ると、一粒一粒のブドウの中に紡錘状の葉緑体が無数にある。葉緑体の中央には、遺伝物質であるDNAの大きな固まりがあって、DNAを特異的に染めるDAPIと言う染色液でウミブドウを染めて、紫外線を当て、その蛍光を蛍光顕微鏡で見ると、細胞の中には無数の葉緑体とDNAの固まりが、まるで満天の星のように美しく輝く。 
 我々が食べるウミブドウは雌雄同株の2倍体で、ブドウの粒の中で減数分裂を行い、上半部では雌性配偶子を作り、下半部では雄性配偶子を作る。
 雌雄の配偶子には、それぞれ2本の長い毛(鞭毛)が生えていて、泳いで相手を見つけ、合体して接合子を作る。この接合子の合計4本の鞭毛は取れて、接合子は球形となり、更に、棒状に伸びて、枝分かれをし、匍匐枝を形成し、さらに葉状部が出来るのである。雌雄の配偶子を作り、それらが接合して増えるこの過程は有性生殖サイクルである。
 ウミブドウでは、これ以外に匍匐枝や葉状部がどんどん伸びて、それが適当にちぎれて増える無性生殖サイクルがあり、実は、この無性生殖の方が主な繁殖法なのである。ウミブドウは雌雄同株(同体)ではあるが、養殖では、もっぱら無性生殖を利用している。
 ところで、ウミブドウの仲間で、元々は熱帯アフリカ産のCaulerpa taxifolia と言う種は雌雄異株である。この種は、1980年代の中頃から地中海でも見られるようになった。初めは、地中海の入り口のモナコとかフランスあたりで発見されたが、どんどんと分布を広げ、地中海の奥の方へ進出し、イタリア半島の東側のアドリア海を越えてクロアチアあたりまで見られるようになり、大繁殖しているらしい。実際調べてみると、この種は雄株ばかり発見され、雌株が全く見つかっていない。従って、ウミブドウの仲間は、自然条件下でも、可成りの割合で無性生殖で増えていると言われている。

夜明け前の恋
 ウミブドウの仲間には、多くの種があるが、そのうちの一つ、フサイワヅタは、九州南部から青森県まで分布し、雌雄同種である。このフサイワヅタは、日の出後20ー30分に、配偶子が一斉に放出されるそうだ。また、上記の地中海産のCaulerpa taxifolia では、日の出前20分から30分頃、夜明け前の薄暗がりの中で、雌もいないのに、雄性配偶子を一斉に放出するそうだ(Zulievic and Antolic 2000)。私も雄のせいか、ちょっと気の毒な気がする。

ウミブドウ丼
 ウミブドウと言う名前の食堂が、恩納村のウミブドウの養殖場に近い国道58号線沿いにある。寿司ご飯の上に海苔を敷き、トロロを載せて、その上にイクラを20粒ぐらい、生ウニを4枚、さらにその上にウミブドウをたっぷり載せている。一杯1200円ではあるが、いろどりも良く、とても美味しい。那覇空港でも食べられるそうだ。沖縄のウミブドウ丼はお勧めである。
 ウミブドウの事を宮古島では長命草と言う。沖縄は全国一の昆布の消費地であり、海藻をよく食べる。泡盛を飲み、鳴き声以外は全部食べると言う豚。冬の最低気温は約12度、夏の最高気温は約31度と言う温暖な気候。加えて、海藻などを食べる食習慣が沖縄の人達の長命につながっていると思われる。ウミブドウにも、健康に良い成分が含まれているのだろう。
 当真さんの話では、昔は海がとても綺麗だった。それで水産関係の仕事をしたいと思い、地元の琉球大学を卒業後、沖縄県の水産試験場に入られたそうだ。今の汚い海を見たら、水産の仕事には就かなかっただろうな、と述懐してられた。

沖縄の産業について
 沖縄では、サトウキビの栽培も行われている。サトウキビは熱帯アジア原産で、遠くから見ると同じイネ科のススキに似ているが、はっきりした節があり、中には甘い繊維が詰まっていて、しゃぶると甘い。
 サトウキビの収穫には1年半かかる。8月頃サトウキビの苗を植え、翌々年の1?3月に収穫するが、反当たり12?13万円の収入しか得られないと言う。普通の農民は5?6反しか畑を持っていないので、2年間に60?70万円の収入しか得られない事になる。サトウキビは、一度植えると5年程植え換えをしなくても良い。つまり、サトウキビを刈った後、根を残しておけば、段々と糖分が減って品質は落ちてはくるが、手間を掛けずに収穫出来るのである。イネのヒコバエのようなものである。しかし、サトウキビの収入では生活できないので、彼等は乳牛や肉牛を飼っているそうだ。
 沖縄の産業基盤は、サトウキビに象徴されるように弱いので、アメリカ軍の基地は経済的に重要な位置を占めている。しかし、常に軍用機や軍用ヘリコプターの大騒音、そして危険と隣り合わせである。姫百合の塔を参拝して、つくづく今の日本は平和で有り難いと思った。しかし、この平和は沖縄の人達を含め、多数の人の尊い犠牲のもとに達成されたものである。
 琉球王朝以来の古い歴史と伝統ある沖縄には、産業の一つとして観光がある。綺麗な自然をもっと大切にし、観光資源として守り、また、温暖な気候なので保養地として発展させる方向もあるだろう。これも矢張り、当真さんが研究されて産業化されたオキナワモヅクの養殖のような、自然破壊をおこさない産業を育て、沖縄が経済的に独立出来ればと思う。また、同時に地球上の紛争がもっと少なくなる様に努力すれば、沖縄の人達が心を痛め、自然を大規模に破壊し、しかも非常に危険な米軍基地を、縮小出来るのではないだろうか。
 我々日本人は、アメリカに盲従して植民地化されて行くのではなく、日本独自の世界平和達成への努力を、常に怠ってはならないとも、沖縄を旅して思った。

1999.12

クョスコニョ    [1] 
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