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海苔について(1)

海苔の神様参拝

 酒は百薬の長。人類とアルコールとの付き合いは古くて長い。東京水産大学と青森大学で教鞭を執られた故三浦昭雄先生(1928〜2003)は、海苔の分類学、遺伝学、生活環の解明、そして品種改良にも多大の貢献をされた。現在我々が食べている海苔の大半は、先生と韓国出身の弟子の申宗岩さんが、野生のスサビノリを品種改良したものだ。先生は「海苔の神様」と敬われたが、また酒仙でもあった。私は、遺伝学や生活還の研究をミカヅキモで行ったので、三浦先生の研究に大変興味を持ち、ご縁が出来た。
 亡くなる二年程前の冬、お誘いを受け、神奈川県藤沢市の先生のお宅をお訪ねした。先生はわざわざJRの辻堂駅まで迎えに来て下さり、お宅では奥様にも久しぶりにお会いした。先生はワインを飲みながら、海苔の標本やノートを広げ、いろいろと私の質問に答えて下さる。お昼には、近所のステーキのスエヒロに連れて行って下さり、そこでもワインを飲まれた。昼食後帰宅して、またワインを飲みながらの海苔談義。夕闇迫り、再三泊まって行けと勧めて下さるが、翌朝までお付き合いをしていたら私は参ってしまうので、失礼する事にした。先生は、それでは夕飯に近所の楊(やん)の家と言う中華料理屋で食事をし、食後そのまま辻堂駅に行けば良いと仰ったので、それもそうだと思い直し、楊の家でご馳走になった。そこで先生は紹興酒や老酒を飲まれた。朝からワインや紹興酒などを合わせて6〜7本も飲まれたであろうか。流石に先生はフラフラ。まっすぐ立っていられない。私は左腕で先生と肩を組み、右手で頂いた本や論文、標本などが入って重くなったカバンを持ち、またお宅に戻った。先生のお宅は真っ直ぐ行って右に曲がるので道の右側を案内していたら、そのうちいくら引き寄せても引き寄せても先生は左に左によろけられる。おかしいな、と思っていたら、左前方に小料理屋があった。まるで鉄が磁石に吸い付けられるが如く、先生はアルコールに引き寄せられる。幸い、先生は小柄なので、こちらに引き寄せ、無事にお宅にお届けし、改めてお暇乞いをした。三浦先生は、こよなく海苔とお酒を愛された。

古代、海苔は税金
 日本人と韓国人・朝鮮人は世界でも稀な、海藻を好む民族であるが、海苔とワカメはまた格別である。
 古代日本では、海苔は漢語の「紫菜」を用い、ムラサキノリと読んだ事が、無良佐木乃里とか、牟良佐支乃里と万葉仮名でルビの振った書物がある事からも分かる。
 中学・高校の同級生で、奈良国立文化財研究所(奈文研)で活躍している綾村宏君に、昔の海藻の記録について尋ねてみたら、奈文研では、奈良時代の木簡を集めてデーターベース(基礎資料)として公開しているので、誰でも検索出来ると教えて呉れた。「紫菜」を検索すると、「出雲国交易紫菜三斤」とか、「隠伎国海部郡作佐郷大井里海部小付調紫菜二斤」とか、「隠伎国智夫郡由良郷津守部足人紫菜二斤」などとある。租税の一種の調として奈良に納められ、その時使われた荷札が木簡として残ったのである。また、知夫村と言う地名は隠岐に現存する。
 また、10世紀半ば、平安時代中期に宮中や全国の神社で行われた祭礼の式次第を事細かに定め記した延喜式には、海藻(ワカメ)には及ばないが、紫菜(むらさきのり)の文字が見える。例えば、伊勢神宮では正月のお祭りとか、新嘗祭(にいなめさい)に、近くの志摩産であろうか、紫菜を使っている。新嘗祭は勤労感謝の日の起源で、旧暦の11月23日に行われた。海苔は神事にも欠かせなかったのである。

奈良時代の紫菜(ムラサキノリ)はウップルイノリ
 奈良時代の木簡に見える「紫菜」とは、日本に分布するアマノリ属30数種中のどの種類であろうか。綾村君に紹介して貰った関根真隆博士の「奈良朝食生活の研究」では、ウップルイノリであったに相違ない、と書かれている。ウップルイノリは、日本各地でイワノリとして売っている海苔である。1964年、十六島(ウップルイ)町を恩師の殖田三郎先生と視察された三浦先生も、アマノリ属各種の産地と量、そして実際に食べてみられた結果、「紫菜」はウップルイノリであろうと判断された。ウップルイノリは、韓国では日本海に面した江原道、慶尚北道、南部の多島海諸島に、日本では本州日本海側から北海道の小樽付近までと、東北地方の太平洋側に分布する(岡村1936、三浦私信)。その名の如く、ウップルイノリは島根県の十六島(うっぷるい)町のものが最上品で、730年代に出来た出雲風土記にも「種々の海産物は隣の秋鹿(あいか)郡の物と同様だが、紫菜(むらさきのり)は楯縫(たてぬい)郡の物が尤も優良」とある。秋鹿郡は現在の松江市西部、楯縫郡は西隣の平田市で十六島(うっぷるい)とか十六島岬の地名がある。出雲風土記の楯縫郡ぁw)フ項には、乃利斯社(のりしのやしろ、能呂志神社)とか、紫菜島社(のりしまのやしろ、十六島浦の津上神社)と言う社名も見える。出雲では、古来ウップルイノリを採集して製品とし、調として都に納め、自らも食べ、そして神に供えたのであろう。

ウップルイノリの名の由来
 アサクサノリの学名は Porphyra tenera であるが、Porphyraは紫、teneraは柔らかいを意味する。葉状体が柔らかいアマノリと言う意味である。成長すると30〜40cm、時に1m近くなる。スサビノリの種名のyezoensisは蝦夷の意味だが、これは初め北海道の小樽付近で発見されたからである。ところが、三浦先生が良く調べて見られたところ、千葉県の房総半島の外側でも発見されたそうである。ウップルイノリの種名はpseudolinealisで、pseudoは偽の、linealis は線状の、を意味する。アマノリ属には既に linealis と言う線状の種類があるので、pseudo を付けたのである。ウップルイノリは、アサクサノリ同様、30〜40cm。長いのは1mにもなり、厚くてやや硬く、岩盤に密生して生える。干潮の際、乾いて簡単に剥がせるのでハギノリとも言う。また、海苔に付いた砂を「打ち振るって」落とす、「打ち振るう」が訛ってウップルイとなったそうだ。地名で十六島と書いてウップルイと読むのは、ノリを産する岩盤の事を島と言い、その島が16個所あったからである(殖田、1964)。

ウップルイノリの食べ方
 アサクサノリやスサビノリは歯切れが良くて美味しい。しかし、ウップルイノリの美味しさは、その腰の強さにある事が、実際に現地で食べてみて分かった。古来、日本海の荒波激しい冬期に、島に自生した海苔を採集したのだから、海藻中でも一番の高級品であった。ウップルイノリは、地元では伝統的に旧正月に食べる。雑煮の餅に巻いたり、澄まし汁の碗に海苔を入れ、昔は海苔についた砂を沈殿させて、上澄みを食べた。また、乾燥させたウップルイノリを手でもんで、ご飯に掛けると美味しい。
 ウップルイノリは、そのまま乾燥して保存するが、塩が付いているので潮解性があり、梅雨時には湿る。従って、冬の間に採集した海苔も梅雨越しが難しかった。
 海苔を紙のように梳(す)いて乾燥させる現在の食べ方は、18世紀頃に日本と朝鮮で、恐らくは別々に発明された方法で、飛鳥、奈良の貴族達は現在よりは分厚くて硬く、歯ごたえのあるウップルイノリを食べていたのであろう。
 日本人の食べた主な海苔は、古代・中世は恐らくウップルイノリ、江戸時代以後はアサクサノリ、そして戦後はスサビノリへと変わって来た。(続く)

2000.08

クョスコニョ    [1] 
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