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石田政弘先生と葉緑体DNA  

先生の講義と座談
 私が大学院の時から御世話になってきた石田政弘先生は、食道癌で2000年9月25日に亡くなられた。享年73歳。先生はクラミドモナスと言う緑藻を使って、葉緑体にDNAが存在する事を世界で初めて実験的に証明された方で、私が藻を使って研究を志したきっかけは、先生の講義やお話の影響が大きかった。
 石田先生に最初にお会いしたのは私が大学4年生の時で、講義は大学院で拝聴したが、いつも最新の情報が満載された資料をご自分で作って、それを学生に配られ、二時間の講義で分かり易く説明されて、とても興味深かった。「DNAが膜にくっつく」と言う時に、「DNAが膜にへばつく」と仰っていたのを思い出す。「へばつく」は京都の古い方言だが、使う人が殆どいなかったので珍しくて面白かった。
 石田先生が大阪府熊取町にある京大原子炉実験所でまだご活躍の1980年代、私は共同実験で毎年のように先生に御世話になった。実験の合い間に、他の先生や学生と一緒に度々熊取のお宅によばれてご馳走になったが、ある時、先生が非常勤で行かれたある大学の試験で、環状のDNAと線状のDNAをどうやって分離するか、と言う問題を出された話をされた。それで、例えば輪ゴムみたいな環状のDNAやったら箸ですくうたら引っかかるけど、切れたパンツのゴムヒモみたいな線状のDNAやったら箸には引っかかりよらんと言うような答でも、アイディアが面白ければ合格や、と仰っていた。成る程、と思いながら拝聴した。私は海藻にも興味があったので、「コンブとワカメはどう違うか、と言う問題はどうですか」と言うと、先生は、自分で答えを用意しとかなあかんで、と仰った。私が「もっと藻の話」で、コンブやワカメの事を書いたのも、先生の仰った事が宿題になって、より良い答えを探したお陰であった。思い返してみると、先生のお陰で出来た仕事が私には多い。
 先生は一見ひょうひょうとして居られたが、好奇心が旺盛、大変な勉強家で博学多識、才気煥発だったので、講義だけでなく座談も魅力に溢れていた。「お月さんの裏側を見たいと言うのは人間の本能で、それが科学の歴史や」と仰っていた。また、どこで仕入れた話なのか、「陰毛が縮れるのは、毛根の基部にエネルギーを供給するミトコンドリアがあって、そいつが回転するさかい、陰毛も回転して縮れるんや」と言う話をされた事があった。何だか、キツネにつままれた様な、自分の陰毛をつままれた様な、妙な気がしたのを思い出す。先生のお話には、先生独自の学問観、哲学、そして色気やユーモアなどが絶妙に塩梅されていて、美人の奥様は、恥ずかしそうによく笑って居られた。

先生の業績
 石田先生は京都大学の大学院を終了された後、ニューヨークにあるコロンビア大学で研究され、ルース・セイガー博士と共に葉緑体にもDNA、つまり遺伝子が存在する事を発見された。クラミドモナスという、鞭毛が2本生えた小さな単細胞の緑藻を数百グラムも大量に培養し、先生が開発された独自の方法で細胞を壊して葉緑体だけを取り出し、大量の核のDNAとは重さの違う異種のDNAが葉緑体の中に存在する事を高速遠心機で分離して明らかにされたのである(Sager and Ishida 1963)。恐らく、この仕事は先生の生物学に対する最大の貢献で、例えば植物の葉の斑入りが母親だけから子供に伝わると言う母性遺伝の現象の生化学的な証明になった。また、この仕事は、植物の葉緑体は太古の藍藻が核を持った生物に共生したものだと言う、今日では当たり前になった説の発展の基礎を築く事にもなった。日本に帰国後は、上記の京大原子炉実験所の放射線管理部門で、主にクラミドモナスを使って沢山の仕事をされた。

人文科学へのご関心
 先生は、ご専門の細胞学、分子生物学だけでなく、植物学、進化学、古生物学、さらには考古学や歴史学のような人文科学にも関心や造詣が深く、中学の時に「通論考古学」を読んだと仰っていた。当時の私は考古学には全く無関心で、何も読んでなかったので、うつ向いて聞いていた。
 また、聖書にある「初めにロゴスありき」のロゴスは「言葉」と訳されるが、本当は、大宇宙を支配している統一的な法則とか原理の意味だ、と教えて頂いた。実際、聖書のヨハネによる福音書の第1章には、「初めに言葉ありき」の後、「言葉は神と共にあった。言葉は神であった。総ての物は、これによって出来た・・・」と続く。「初めにロゴスありき」は、多くの宗教や哲学だけでなく、芸術や科学にも共通する真髄であろう。先生はそれを一生かけて追い求められたのだと思う。

「もっと藻の話」について
 私がこの「もっと藻の話」を書き始めてからしばらくして、先生にも雑文を毎回お送りしてきた。和布刈り神事や出雲大社の瑪瑙(めのう)の勾玉について書いた時、先生は「出雲風土記の神代の世界でワカメを食べた感じです。出雲大社のマガタマは原子炉実験所でX線蛍光分析した後、由来が明らかにされたもので、当時神官が来られ、うやうやしく分析しました。私は放射線管理上立ち会いました」と興味深いお話を書いて下さった。また、「出雲」の語源については、「『出雲』は『出藻』ではないでしょうか。雲が出るとは神話的ですが、藻についての神事は古代人の食生活、食文化の象徴とも受けとめられます」との解釈を教えて下さった。出雲地方は、ワカメ、カジメ、アラメ、ウップルイノリ等々、藻と大変関係が深いので、石田説は卓見で、当たっている様に思う。
 また、私が先生の研究所で御世話になっていた時、ミカヅキモの栄養細胞はDNA量から見て二倍体である、と言う発見について、随筆に書くようにと仰って下さった。
 このように、今年の四月まで毎回感想を送って下さったのだが、六月からはお返事がなかった。それで私は、先生がとてもお忙しいか、私の雑文が不出来のせいだろうなどと思っていた。ところが、九月の末に旧友の津志本元(つしもと・げん)君から突然先生の訃報を聞き、何故あの時に先生のご体調に思いが及ばなかったのかと、とても残念であった。先生が普段あまりに体力があってお元気だったので、私より長生きされるかも知れないと思っていたのが失敗の元であった。お葬式で先生に最後にお目に掛かった時、先生はちょっと痩せて小柄になられた感じであった。最後の言葉は無かったが、「初めにロゴスありき」と仰っているような難しい顔をして眠って居られた。
 先生の御先祖は大名で、領地は最大の時に二万石余りあったそうだ。長岡京市にある先生のお宅は400年以上前に建てられたものだそうで、重要文化財ではないかと思うぐらい古くて立派である。ご生前からご自分の戒名を考えておられ、緑葉院殿DNA大居士と言うような趣旨だったように思うが、実際には、「誠心院殿弘空明政賢修常道大居士」となっておられた。先生の学問やお人柄の偉大さを表しているとは思うが、少々いかめしくて、不肖の弟子とも友達の様に付き合って下さった先生の気さくなお人柄からはちょっとずれているような気がする。
 先生は、今、長岡京市の光明寺で安らかに眠って居られる。合掌。

2000.12

クョスコニョ    [1] 
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