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能登風土記(2)

輪島塗と珪藻(けいそう)の活躍

 また輪島にやって来た。まず朝市で買い物をし終わって帰る途中、行きに道を尋ねた、お孫さんらしい子供を遊ばせていた婦人にまた会った。海藻や海藻料理について尋ねてみると、詳しい人がいるからと自宅に案内して下さる。ほんの100メートルほど歩くと、朝市通りで輪島塗の製造販売をしている二井(ふたい)朝日堂と言う、こじんまりした新築3階建ての、輪島塗が沢山並んだ店に着いた。
 輪島塗は、約600年前、輪島の重蓮寺に紀州根来寺の僧が来て、寺で使う膳や椀を作ったのが初めとされる。330年ほど前に、付近の小峰山で発見された珪藻土は、藻の仲間の珪藻類の細胞の殻が堆積して土となったもので、主成分の二酸化珪素を焼くとガラスになる。それを細かく砕いた「地の粉」を漆に混ぜ、木を切って半年以上乾燥させてから作った木地(きじ)に塗ると、ガラス質の漆でがっちり固まり丈夫になる。そうして固まって丈夫になった物を、研いで磨き、また漆を塗り重ねる作業を繰り返す。全部で130工程もあり、完成迄に1年以上かかる。膳や椀の他に箸や菓子皿、茶道具、盆、座卓、タンス、最近はブローチやループタイ、独楽(こま)など、様々な製品になる。こうして出来た家具はガラス質の珪酸が入っている上に、繰り返し滑かに磨かれているので、まるで鏡の様に写る。価格は、蓋付きの吸物椀(すいもんわん)だと、五客で最低十万円、蒔絵付きだと百万円程度。丈夫で美しい漆の魅力にかぶれると厄介だが、そこには職人の優れた技術と心が生きている。「ジャパン」が漆器の世界共通語になった由縁であろう。

濱ちゃん、濱ちゃんに会う
 さて、輪島塗を商う二井さんのご主人は、「海藻の事ならこの人が詳しい」と、丁度店に来て居られた旧友の濱高善祐さんを紹介して下さった。濱高さんは、長年、輪島市役所農林水産課に勤務され、停年退職、この時67才。散歩の途中、二井さんの店に寄られたところだった。濱高さんは開口一番、「昔、三浦先生が海藻を調べに輪島に来られて、案内した事がある」と言われた。そこで私は、「三浦先生も以前から、輪島で市役所の方に御世話になった、と仰っていました」と言ったが、それが濱高さんだったのだ。会いたいと思っていた濱高さんに、偶然出会えた嬉しさと、互いに「濱ちゃん」どうしのよしみもあってか、私が持参した海藻図鑑を広げて話が弾んだ。

ワカメ
 濱高さんと一緒に近くのソバ屋に行って、話が続いた。まず、輪島の人は日本一海藻を食べるそうだ。4月・5月はワカメの旬で、輪島産の6〜7割は舟で1時間半程の舳倉島(へぐらじま)とその手前の七つ島産である。ワカメは全国何処でも同じと思いがちだが、場所により味も形も大きく異なり、輪島だけでも産地により三つの型がある。天然ワカメの採集は、船の上から海底に生えているワカメを箱眼鏡で覗きながら、2〜7mの長い柄の付いた鎌で刈り取る。舳倉島ではワカメを漁網の上で干すが、後で再訪した上大沢(かみおおざわ、かめぞ)では岩やコンクリートの上に干していた(素干し)。輪島でのワカメの保存法には、この他、板ワカメにする「板干し」、塩漬けにする「塩蔵」の3種類がある。余談だが、富山県氷見市の女良(めら)では、徳島県の鳴門の方法に習ってワカメを灰でまぶした灰付きワカメにしている。

エゴノリ
 濱高さんの話では、エゴノリは、ホンダワラの仲間のヨレモクやアカモクにからみ付き、海底にかたまっている事が多い。7月から8月にかけて採集し、干すが、サザエが沢山付いている。エゴノリは、晒して煮て、冷やして固めると細かい繊維が残り、ややきめの粗い「ところ天」と言う感じ。そのままか甘酢醤油などで食べる。以前、私は新潟県出身の大学の先輩にエゴノリを御馳走になった事があるが、後で濱高さんに送って頂いたエゴノリも食べた。特別美味しいとも思わなかったが、小さい時から食べている人には懐かしいようだ。エゴノリは、青森県下北半島の太平洋側、秋田、北陸、山陰、九州北部でも食べるし、各地でエゴとかエゴノリと言っている。濱高さんの出身地の輪島市名舟(なぶね)では、幕末の頃、腸チフスが流行ったが、エゴノリを食べた人は助かった。エゴノリには殺菌作用があるようだ。昔から身体に良いと言われ、お盆の頃の精進料理にしたり、正月にも食べた。

海女
 「海人ものがたり」(宮本常一、アフリカとアジアを歩く、岩波現代文庫)に依ると、朝鮮半島では済州島が海女の拠点である。日本では、全国80ヶ所以上に海人(あま)が居たが、福岡県鐘ヶ崎(かねがさき)が一大拠点で、対馬厳原(いずはら)町、山口県大浦などに移住し、輪島の海士(あま)町には1560年頃来た。濱高さんによると、海士町の言葉は、今でも輪島の他地区とは異なる。朝鮮半島東部の旧新羅、南部の旧任那、済州島、日本の対馬、壱岐、九州北部、山陰地方、さらに北陸地方などは、共通の海女、魚介類・海藻食文化圏を形成し、現在の国境を越えた文化的なつながりが浮かび上がる。
 海士町の海女の漁法は夫婦で1組である。舳倉島にも家を持ち、両方を往復して漁をしている。妻が、昔はふんどし一つ、今はウェットスーツで潜り、夫が船を操り命綱を握る。海底から妻の合図があると、夫はすごい勢いで命綱を引き上げる。妻は妊娠中でも潜る。夫は楽だと思われがちだが、瞬間的な腕力が必要な重労働で、夫婦の息が合うか否かが生死を分ける。引き上げた時、ごく稀に呼吸停止している事がある。その時は人工呼吸では間に合わず、二本の指を鼻の穴にぎゅっと入れ、下に思いきり押さえると、あまりの激痛に必ず蘇生するという。20m以上潜る海女を大海女と言うが、30m潜る海女もいる。水中眼鏡は、二つの目が別々の二つ目の眼鏡から両方共通の一つ目の眼鏡に変化して来た。30m潜ると、圧力が4気圧にもなり、二つ目だと目が痛くて潜れないし、無理すると目が飛び出るそうだ。主として、4月・5月のワカメから7月のアワビの季節まで潜るが、最近、アワビは1kgが約18,000円、大きいのだと3個程度。こちらの目も飛び出そうだ。
 
磯焼けと大規模土木工事 
 日本の海には昆布類やホンダワラ類を初め多種の海藻が生い茂り、海中林を構成していた。ところが、近年は、海藻が生えなくなって海が砂漠のようになる「磯焼け」が各地で生じ、藻類学会でも報告されている。その原因については、ウニやヒトデの様な藻食動物の急増、潮流の変化、地球温暖化、栄養不足、等々の説がある。しかし、ウニやヒトデを取り除いても海藻が増えないなど、どの説も怪しい。
 ところが、輪島の海女や漁師とか濱高さんの様に、胎児の時から海に潜って暮らして来た人は、磯焼けの第一原因は海が汚くなったからだ、と断言する。濱高さんの話では、昭和30年頃迄の舳倉島の海はとても綺麗で、30m潜って上を見ると、水の上に浮かぶ舟から下を見ている人達の姿が見えた。ところが、今は15〜20mも潜ると見えない。川の上流で大規模土木工事をするたびに海に土砂が流れ込んで水が濁り、海藻の赤ちゃんである遊走子や受精卵が岩に付着出来なくなる。すると、急に磯焼けが起こり、アワビやサザエ、魚も採れなくなる、と言う訳だ。その影響は、舳倉島の様な離島にも及んでいる。

能登空港、北陸新幹線は必要か?
 当時、能登空港が輪島の近くに作られていた。自民党の有力議員や運輸省・建設省に200回も陳情した成果だそうだ。富山県でも様々な大規模土木工事があって既に弊害がある。例えば、黒部川上流の排砂式の出し平(だしだいら)ダムの河口では、ヘドロの流出に伴い、急速に磯焼けが起こり、入善町のモヅクやカキは全滅したそうだ。能登や富山の人は何故か一刻も早く東京に行きたがるが、長い目で見ると、赤字ローカル空港や第三セクターの赤字線が増え、海では一層の磯焼けが進み、北陸の魅力である海藻や魚介類が消えて行くだろう。近年の大規模公共土木事業の大半は環境、国土、財政を破壊し、さらに国民の暮らしと心、地域社会を崩壊させるのではないか、と私は以前から案じている。
 国民は、金と権力に目のくらんだ政治家・官僚・業界、そして彼等に迎合するマスコミや御用学者ではなく、自然を見続け、研究してきた、我々濱ちゃんの訴えを、もっともっと重く受けとめて欲しい、と輪島を訪ねて思った。

2001.06

クョスコニョ    [1] 
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