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  世代の交代

鹿ヶ谷事件

 お盆の8月16日、五山の送り火で有名な京都東山の大文字山(如意ヶ嶽、にょいがたけ)の麓には、町名の前に鹿ヶ谷(ししがたに)の付く地域がある。私事にわたって恐縮だが、鹿ヶ谷法然院町には浄土宗の古刹法然院(ほうねいん)があり、私の先祖や弟妹が眠り、鹿ヶ谷宮ノ前町には私の母校、第三錦林(きんりん)小学校がある。
 高校の日本史で「鹿ヶ谷事件」として習うが、鹿ヶ谷は、平安末期の1177年、平氏打倒の謀議のされた所である。平家物語には、鬼界ヶ島に流された三人中、俊寛だけ残される悲劇が描かれ、読む人の心を打つ。鹿ヶ谷地区を南へ下ると若王寺(にゃこうじ)、私の住んでいた永観堂町、そして南禅寺へと続く。銀閣寺から南禅寺迄は、疎水縁(べり)の哲学の道をゆっくり歩くと小一時間、大学の馬術部にいた頃、馬だと20分ほどであった。鹿ヶ谷一帯は閑静な古寺が多く、30才頃までの私の生活の場であった。
 ところが、馬術部の後輩で地方出身のK君が新入生で入部した頃、鹿ヶ谷の事を「ししがやつ」と言う。驚いた私が「ししがたに、と言うんや」と教えてやると、彼は、「教科書に、ししがやつ、とルビが振ってあったので間違いありません」と得意げに言う。私は、「地名は地元の呼び名が元やから、その教科書は間違ってるな」と言うと、「教科書が間違う筈がありません。そんな事言い出したら何も始まらない」と言う。そこで、「そもそも、本とか教科書に書いてある事が全部正しいと思う事が間違いや」と親切に教えてあげると、彼は私の事を、不真面目で学習能力の低い奴、と軽蔑した様な目で見た。
 もし私が東京の渋谷の事を「しぶがたに」とか「しぶがやつ」と勝手に言い、私の著書や随筆に振り仮名を送ってそう読むように強制し、おまけに試験で「しぶや」と書いた学生を減点し、落第させたらどうだろう。私は浅学非才の上に、嘘つきで、独善的で、独裁者と非難されるに違いない。そんな教科書学者や文部省に従い、正論や批判精神を封じたら、経済ばかりか社会や学問も衰退するだろう。

教科書の誤りについて
 人間は神でも仏でもないから、本や教科書の誤りは珍しい話ではない。自由に批判して改善する事が大切だと思う。生物学の教科書にも間違いや説明不足がある様だ。今回は「世代」とか「世代の交代」について。
 我々が世代というと、例えば天皇家では、平安遷都で有名な第50代の桓武天皇は737年生まれで、第125代の現天皇は1935年生まれ。この間正味44世代だから、一世代は平均27.2年とか、小麦は、自然では1世代1年だが温室を使えば5ヶ月、遺伝の実験に使われたショウジョウバエは2週間、細菌は僅か20分などと使う。この場合、世代とはある個体の誕生から次の子供の誕生迄の時間を指している。また世代には、戦争を経験した世代とか、団塊の世代の様に同年齢層の意味もある。
 しかし、生物学で使う「世代の交代」の意味は違う。ある高校生用参考書には、有性世代(n)と無性世代(2n)を交互に繰り返すことで、シダは世代の交代を行うが種子植物や人間の様な高等動物は行わないとある(後述の様に、種子植物は世代の交代を行うので、教科書の説明は間違っている)。
 ところが、私は高校の時、人間でも、肝臓とか心臓の細胞(体細胞)の様な2nの世代もあれば、卵や精子の様なnの世代もあるので、世代の交代があるではないか、と疑問に思った。この疑問は長い間私の宿題として頭の片隅に残っていたが、大学院の頃、アメリカの生物の教科書を読んでいたら、世代の交代(alternation of generations)とは、有性世代(n)と無性世代(2n)が共に2世代(2細胞)以上あって、生活環の上で交互に現れること、と説明されていた。つまり、世代は、英語ではgenerations と複数で、どちらか一方が1世代(1細胞)しかない場合、世代の交代とは言わない。例えば人間の2n世代の体細胞は、何億個か知らぬが複数個ある。しかし、n世代の方は、減数分裂をして卵や精子のようなnの細胞が出来ると、すぐ受精して2nの受精卵になるので、nの細胞数や世代数は1個限りである。そこで、人間では世代の交代がない。この事を生物教科書の著者に学会で会った際に質問したら、「他の生物では繁殖の季節が決まっているので世代の交代は分かりますが、人間は連続しているので分かりにくいですね」と答えられ、私は唖然とした。著者自身が世代の交代の意味を分かっていないのだから、高校生が理解出来ないのは「もっともの話」だと思う。残念乍ら、今だに日本の生物の教科書や参考書は、世代交代の説明が誤っていたり不足している。

世代交代の意味
 さて、細菌や藍藻のように、原始的で核の無い生物(原核生物)は、遺伝子のセットを1組しか持っておらず、つまりnであるが、必要な遺伝子が全部揃っているのでそれで充分である。もし総ての遺伝子を2倍量持って2nになると、細胞の中に核のような遺伝子を保管する特別の場所が必要になるし、細胞分裂のたびに沢山の遺伝子を全部複製せねばならないので、とても複雑になる。しかし、n世代しか持たない生物にも弱みがあって、紫外線とか亜硝酸とか環境中の様々な突然変異誘発物質の作用で、1組しかない遺伝子が一度やられると致命傷となってしまう。
 ところが2nの細胞には、遺伝子が2組あるので、たとえ一方の遺伝子がやられても、残った遺伝子が補って生き残れる。また、一組の遺伝子が正常であれば、他方が少々おかしくても許容出来、おかしな遺伝子も何回か突然変異しながらたまには別の新しい有用な遺伝子が創出され、その結果、多種多様で高等な生物が出現出来たのである。
 例えば、旦那が少々現実離れした、売れない画家や小説家、貧乏学者、発明家であっても、奥さんがしっかりしていれば、家も何とか持ちこたえ、その内に旦那の仕事がとても役に立つ時代が到来し、社会全体に画期的貢献が出来る様なものだ。
 このように、生物が2n世代になる事は、進化にとって頗る好都合で、nの、言わば独身の状態では、生物の大きな進化は殆ど不可能であった。
 生物の進化の大筋は、単純な生物から複雑な生物へ、遺伝情報(DNA)量の少ない生物から多い生物へ、そしてn世代しか持たない生物から、より長期間2n世代を持つ生物へと、分類群ごとに平行に進化した。例えば、陸上植物では、生活環の大半がn世代で2n世代が目立たないコケ類から、逆に2n世代の方が立派でn世代が目立たないシダ類、そしてn世代は痕跡的に2n世代に寄生する種子植物へと進化した。褐藻植物ではシダと似た生活環を持つコンブ・ワカメの類から、n世代が1細胞になって後は2n世代となったホンダワラ、アカモク、ヒジキなどへと進化し、体制も格段に複雑になった。

ヒジキの生活環 
 ヒジキは日本や韓国、中国に分布する褐藻類である。日本海北部には分布しないとされたが、富山県氷見市沖の虻ヶ島に産する事が海藻研究所の新井章吾氏により発見され、興味深い。
 ヒジキの本体、つまり我々が食べるヒジキは、人間同様、雌雄異株で2nである。このヒジキは、初夏になると雄のヒジキには人間の睾丸に相当する雄性生殖器巣が、雌には卵巣に相当する雌性生殖器巣が出来、そこで減数分裂を行い、nの精子と卵が出来る。人間同様、この精子と卵はすぐに受精して2nの受精卵となるので、結局nは1細胞・1世代で終わり、複数個にはならず、世代の交代がない。この受精卵は夏から冬にかけて、幼胚、発芽体、幼体と成長し、初夏には元の成体になる。


図の説明:ヒジキの生活環。右上の部分だけが半数体(n)で、我々が食べるヒジキの本体などはすべて2倍体(2n)。
R.D.は減数分裂の意味(新井章吾 1993、堀輝三編、藻類の生活史集成、より引用して改図)。

 「世代の交代」は「世代の交番」とも言われ、19世紀前半に発見された現象である。この現象を生物の進化や分類と関連させて理解する事は、生物学全体の理解の為にとても重要である。もし、多くの日本人がその概念を正しく把握していないとすれば、それは、本質を理解していない教科書の著者にも大きな責任がある。 

2002.02

クョスコニョ    [1] 
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