総計: 1618332  今日: 224  昨日: 437       Home Search SiteMap E-Mail Admin Page
藻知藻愛(藻食文化を考える会)
日記
コラム
坂村真民先生の詩
もっと藻の話
マイクロアルジェ
 
 
 過去のもっと藻の話 
  自己紹介
    この稚拙なHPは誰の? と問い合わせがあったので・・・
  藻食文化を考える会
    藻食文化を考える会を立ち上げました
  講演会のお知らせ
    日本学術振興会181委員会
 「330000」を目指したいと思います!
「330000」
 
  出雲海藻風土記(1) 日御碕にて
 

出雲海藻風土記(1) 日御碕にて

日御碕(ひのみさき)神社の和布刈(めかり)神事

 前に述べたが、出雲、日御碕神社の和布刈神事は、社伝によると、十三代成務天皇六年正月五日の早朝、一羽の鴎(かもめ)がいまだ潮(しお)のしたたる海藻を口にくわえ来て神社の欄干に掛けて飛び去り、しばらくしてまた海藻をくわえ来て欄干に掛け、かくする事三度。これを見た社人は不思議として直ちに真水で洗って神前に供え、直会(なおらい、お下がり)を食した所、なかなか美味であった。この海藻が和布(わかめ)で、それから和布刈が始まったと伝わる(高木玄明、都道府県別祭礼辞典・島根県、桜楓社、一部同氏私信)。
 二千年近く続くこの和布刈り神事は日本人や朝鮮人・韓国人のワカメ食の起源を示しているようなので、是非見たいと思っていた。しかし、旧暦の正月五日は厳冬期の上、富山からは遠くてなかなか行けない。しかし今年(2002年)は暖冬で、旧暦の正月5日は新暦2月16日の土曜日。あてにはならぬが、天気予報も晴れ。千載一遇の好機であった。そこで、雪がちらつき、梅のつぼみの固い富山を前日出発、八百万(やおよろず)の神の国、出雲へと向かった。
 特急雷鳥で関西に入ると梅が咲いていた。新幹線で大阪から岡山まで行き、岡山で伯備線に乗り替え、出雲市駅まで約720km、8時間程かかって着くと、早春の風が首筋を撫でた。ところで、富山から出雲へ最短距離の日本海沿いをJRで行くと約600kmなのに、接続の悪い特急と普通を4回も乗り継がねばならず、12時間もかかる。例えば、青森から下関までの長距離特急を通すとか、接続を良くしてくれれば6時間で着くだろう。大阪と青森を結んでいた特急白鳥も廃止されたし、JRは日本海側住民の利便性を考えてくれてないのが残念だ。
 出雲市駅の改札を出て、駅前のバス停のベンチに腰掛けて待つうちに、程なく出雲大社行きのバスが来た。バスの窓からまた梅を愛でる。出雲特有のがっしりした黒松の屋敷林も懐かしい。日御碕では、今回も民宿「ことぶき」に泊まった。「ことぶき」は、出雲風土記にも出てくるおわし濱にあり、夏は海水浴客で賑わうが、客が減って閑散としていた。世話をしてくれた女主人は、「最近とみに過疎が進んだ。この先どうなるんやろか」と案じていた。
 翌朝は宿を9時過ぎに出て、1km程の道を写真を撮りながら、神社への逍遥を楽しんだ。日御碕神社には、和布刈神事当日朝行われる神事も見せて頂きたいとお願いし、快諾を得ていた。神社に着くと、禰宜(ねぎ)の高木玄明(はるみつ)氏が私を一室に案内し、お茶と参考資料を持って来て下さった。後で人から聞いた話では、高木さんは小野高慶(たかよし)宮司の従兄で、束帯姿に錫(しゃく)を持つと、さすが、光源氏かお殿様の様に立派である。
 10時になると、神社正面奥(西端)の天照大神をお祭りした日沈宮(ひしずむのみや、下の宮)で男性数人、女性一人の神官による神事が行われた。まず、米、酒、塩、水、魚(ブリ)、野菜、果物の常饌(じょうせん、日常のお供え物)と、新ワカメを三宝に載せて男性神官3〜4人が順次神前に運んで供える。次いで、小野宮司が朗々とした美声で祝詞をあげる。この間、時折、男性神官が鈴を、女性神官が直径約1mの大太鼓を鳴らし、終わると再び男性神官が御饌(みけ、神様の食べ物)を順次下げる。小野宮司に依ると、古い祝詞は燃やしてしまうので伝わってないそうで、この祝詞の文章はここ数十年のものだろうとの事だった。しかし、出雲風土記の記述などが、今も口伝でも伝えられているそうだから、千数百年昔の祝詞も、今とあまり変わらなかったのではないだろうか。
 その後、日沈宮手前右(北側)上の須佐之男命(すさのおのみこと)をお祭りした神の宮(上の宮)でも、ほぼ同様の神事が行われた。神の宮の後ろは須佐之男命のお墓で、古墳だそうだ。日本中に須佐之男命を祭った神社は沢山あるが、ここは、須佐之男命の総本社である。普段の神事では御饌(みけ)として、上記の常饌(じょうせん)の他、海藻一般、菓子、たまに卵、それに昔は鳥(キジなど)をお供えしたそうだ(高木氏私信)。神事が終わると、力を頂く為に、必ず直会(なおらい、お下がり)を食べた。これらのお供え物や言い伝えは古代人の食生活を今に再現している様で興味深いし、貴重である。

宇竜港と権現島
 午後は、本宮から1kmばかり離れた宇竜(うりゅう)港の対岸約50mにある権現島で和布刈神事が行われた。宇竜港と権現島付近は、沖に浮かぶ小さな島々が防波堤となって波穏やかとなり、水深も深い磯である。高木玄明氏に依れば、宇竜港は古来良港で、北前船の風待ち港として賑わい、遊郭もあったそうだ。出雲国風土記には、宇礼保浦(うれほうら、宇竜港の事)幅七十八歩あり。船二十ばかり泊まつべし。すべて北海(日本海)の産物は、隣の楯縫(たてぬい)郡同様。但しアワビは出雲郡が最も優れ、(日)御碕の海人(あま)是を捕る、とある。アラメ、カジメ、ワカメなどアワビの餌が豊富なので、良質のアワビが採れる。日御碕灯台の前の食堂や土産物屋では、香ばしいサザエの壷焼きも売っていた。

権現島での祭典と和布刈
 和布刈り神事の始まる前、15年もこの和布刈神事を撮影してきた山陰放送カメラマンの佐藤均さんと偶然に知り合った。私が富山から来たと言うと、彼は絶好のカメラ位置を教えてくれたり、宇竜地区長の浅津育男さんに紹介して下さった。そのお陰で、私も特別に権現島に渡れる事になった。
 権現島は周囲約500m、標高約20m。島の頂上には日御碕神社末社の熊野神社があり、祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)である。男性神官四人が小野宮司を先頭に、1年12ヶ月に因んで横に12艘並べた舟橋を渡って島に渡り、氏子代表など約25人が続き、最後に私が、残りの約250人の見物の人に悪いな、神罰でも当たらなければ良いが、と畏(かしこ)み畏み渡り、結局、島の頂上の熊野神社で行われた神事まで見せて頂いた。権現島は、つい2-3年前まで女人禁制で、女性記者でも島に渡るのはおろか船橋に乗ることさえ出来なかったそうだ。
 熊野神社の神前には拝殿であろうか、六畳ぐらいの背の低い板の間があり、そこに神官四人と氏子達がぎっしり詰まり、部屋の外まで人が溢れる中、神事が行われた。ここでも常饌とワカメを神前に供え、宮司と禰宜が祝詞を上げ、他の二人の神官が笛と太鼓の楽を奏でたが、チンドン屋のような賑やかさだった。後で聞いた所に依ると、これはとても古い原始的な音楽を伝えていて、海の音を現しているのだそうだ。明治大正期に始まったとされるチンドン屋は、この神事を真似たのかもしれない。
 その後、再び小野宮司を先頭に熊野神社を降り、登り口の一の鳥居の前に戻り、そこで高木禰宜が、箱眼鏡を使い、長柄の鎌で神妙にワカメを刈り、神官の石田和男さんが持つ三宝の上に新ワカメを載せた(挿し絵参照)。その後、四人の神官はまた船橋を渡って宇竜港に戻る。往復の船を渡る際、神官は一番岸に近い船に着座し、赤褌の8人の男の裸役が岸との間に板の橋を架けるのを待つ。その間、船頭の小村(おむら)順一さんの美しい船歌が朗々と流れ、まさに王朝絵巻を繰り広げたようでうっとりとした。ここで、神官や氏子の渡島を手伝う裸役8名は、島から宇竜港への帰りは冷たい海を泳いだ。これはおばちゃん達を喜ばせる為の余興かと思っていたが、そうではなく、出雲風土記にある伝統的な男の海人(あま)による漁が今日まで続いてきた事を表しているのだろう。現在では箱眼鏡と鎌を使って神官がワカメを刈っているが、古くは出雲國風土記にあるように、御碕(みさき)の海人(あま)が潜ってワカメを刈っていたのかも知れない。
 ワカメは日本と朝鮮半島で食べるが、伝承に依る最古のワカメ食の起源は13代成務天皇期の日御碕神社ということになる。因みに、門司と下関でも和布刈り神事があるが、いずれも14代仲哀天皇妃の神功皇后が起源で、日御碕神社よりも後になる。また、朝鮮半島には古い記録がないようだ(富山大・朝鮮語学科・藤本幸夫氏私信)。

板ワカメの作り方
 さて一月後、学会のついでに民宿を再訪して板ワカメの作り方を見せて貰った。民宿の一家はワカメの養殖もしているのだ。宇竜港には天然ワカメも育っていたが、朝6時に漁師二人と私の三人で、沖合い1キロほどで養殖しているワカメを採りに小舟で出掛けた。直径約3cmのロープにワカメが根を張ってぎっしりと育っており、メカブがよく発達した成熟したワカメを刈り取る。1時間ばかりの作業だったが、三人が小船の片側に集まるので、かなり傾き、時折大きく揺れる。寒い海に落ちては只では済まない。常に足を踏ん張りながらの和布刈作業で、お殿様達の和布刈神事とは大違いだ。陸に戻ると腰が砕けてフラフラし、一時休憩の朝寝。漁師二人がまたワカメ採りに出かける船のエンジン音がするが、私は布団の中で身体が動かない。やっと9時半頃起きて朝食をとった。
 板ワカメを作る工場は自宅の隣にあり、朝食を済ませて私も手伝ったが、10人近い人が働いていた。作業は、ワカメの根元のメカブや先端の固くなった葉を取り除き、真水で洗い、洗濯機で脱水する。次いで、温風が吹き抜けて乾燥に便利なように、上下2段になった65x100cm位の木枠の上段に網を張り、下段の枠との間には隙間が空いている長方形の上段の網の上に、ワカメの葉の中央の中肋を伸ばし、葉を広げて並べる(写真)。見ると簡単そうだったが、実際にはワカメの葉が綺麗に広がらず、案外難しかった。
 ワカメを並べた木枠の台を30枚ほど重ね、温風乾燥室の中に入れて7〜8時間乾燥させ、剥がすと板ワカメになる。それを、竹のヘラで3つに切り、袋詰めして出荷する。
 ところで、板ワカメを味噌汁に入れる人がいる、と言って島根の人は嘆く。一番美味しい旬のワカメを刈って作った板ワカメは、炙って、香ばしいのをそのままパリパリ食べてこそ、ワカメも喜び、八百万の神様も喜んで下さるのだ。

2002.04

クョスコニョ    [1] 
 前のテキスト: 出雲海藻風土記(2) お祓いとホンダワラ
 次のテキスト: 世代の交代
 
EasyMagic Copyright (C) 2006 藻知藻愛(藻食文化を考える会). All rights reserved.