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  出雲海藻風土記(4) ノリを食べる文化
  出雲海藻風土記(4) ノリを食べる文化 
  
十六島(うっぷるい)    
 日御碕神社での和布刈神事の翌朝、出雲大社神楽殿(かぐらでん)の日本一大きな注連縄(しめなわ)の下で島根大学の大谷修司君と待ち合わせ、一緒に十六島(うっぷるい)を訪ねた。大谷君はミカヅキモと近縁のハタヒモ(Netrium)を研究してきた分類学者で、私が調査していた北海道では、釧路湿原、仁々志別(ににしべつ)川などを案内して一緒に藻を採集した事もあり、懐かしい。
 十六島は奈良時代、出雲国風土記や長屋王邸出土の木簡に「紫菜、ムラサキノリ」と記された、ウップルイノリの本場である。このノリは、アサクサノリの親戚で、主として出雲・隠岐から朝廷に「調」として納められ、平安時代以降も貴族が好んで吸物にした。地元では、イワノリ、マノリ、磯から剥ぐのでハギノリ、また1960年頃までは老人がオッポーとも呼んでいた。江戸時代、松江藩七代藩主・松平不昧(ふまい)公・治郷(はるさと)は、江戸の茶会でこのノリの羽織を着て諸大名に茶を振る舞ったという。海の綺麗な昔は磯の上にノリがビッシリと生え、50センチにも成長したが、干潮の時に乾いたノリを綺麗に剥ぎ取り、羽織に仕立てたのである。明治以後も皇室や県知事に献上されたそうだ。

ノリの「島」見学
 大谷君の夫人の紹介で十六島に住む小澤夫人にお会い出来た。近所にはご主人の従妹で、「島持ち」の渡部勇氏夫妻が住んでいる。渡部夫人は足が痛くて前日まで入院されていたが、杖をついて「島」へ案内して下さった。私は心の中で手を合わせる。十六島町は日本海に西に突き出た三角形の岬で、渡部家の「島」は家から海岸沿いに北西へ車で5分程走り、ここから15分程山道を登り降りした岬の先端近くにある。「島」の前は急斜面の岩山で、足の踏み場だけ足型が彫ってあり、踏み外さぬ様に一歩一歩海岸へ降りて行く。岩山は海面付近で座敷の様に水平な磯となり、沖に5〜20メートルほど突き出て、その上にノリが生える。これが土地台帳にも登録された個人財産の「島」で、岩の切れ目や細い線が、隣の「島」との境界になっている。古来、十六島百戸、と言い、百戸のうち「島持ち」は十六戸だけだった。出雲国風土記に「種々の海産物は隣の秋鹿(あいか)郡の物と同様だが、紫菜(ムラサキノリ)は楯縫(たてぬい)郡の物が最良」とある理由は、満潮線と干潮線の間、つまり潮間帯に生育するウップルイノリにとって、楯縫郡の十六島はまさに最適地だった事が、「島」を見て分かった。ノリを採って食べてみると、塩味がきいてコシがあり、僅かに甘みもあり、なかなか美味しい。近所の小母さんも来てノリを摘み、背中に背負った竹篭に入れていた。ここでは千数百年来、同じ営みをしてきたのだ。

ウップルイノリを産する「島」。島根県平田市十六島町の渡部家の「島」付近。


ノリの旬とお雑煮 
 昔はノリの前にウシノケ(ウシケノリ)が生えた。ウシノケはノリと近縁の紅藻類だが旨くない。また、ノダレと呼ばれるコケの様な雑藻もあったそうだ。今は10月中旬頃、苛性ソーダを薄めて島を掃除するので、いきなりウップルイノリが生えて来る。
 「島」は10月から3月迄は関係者以外、立ち入り禁止となる。最盛期は12月と1月で、1日に3センチ伸びる事もある。長さ20センチ、幅5ミリ程に育った柔らかい一番海苔が最も美味しく、乾燥物が100グラム8000円もする。我々の訪ねた2月半ばはシーズンも終わりに近かった。ノリの優劣は、「島」の場所や岩の質と関係する。外洋に近く、ツルツルした岩とザラザラした岩の混じった渡部さんの「島」は、良質のノリを産するそうだ。
 「島」から戻ると、小澤夫人は海岸から百メートルほど山手の自宅に我々を案内して暖かい炬燵の入った奥座敷に招き入れ、炙ったノリやお雑煮を御馳走して下さった。ノリは真水で洗って干し、炙って食べると香ばしい。お雑煮は、暖かい出汁の中に餅と初物の一番ノリが入っていてとても美味しく、小澤夫人の優しく暖かい気持ちが伝わって来た。

海藻と魚介類
 十六島では春にはアラメ・カシカメ(ハバノリ類の方言)・ヒジキなど、夏にはテングサを採って食べた。モヅクも食べたが、最近は土木工事のせいか海が汚れ、少なくなった。すぐ近くの日御碕で食べるソゾはここでは食べない。モバ(ホンダワラ類)を海水に浸け、家や自分に向かってパッパッと振ってお祓いをし、終わった後は近くの神社に掛けておく。出雲の佐太神社付近で行われるお祓いの方法と同じらしい。
 魚介類は、底引き網がなくなり、定置網か一本釣りになってきた。韓国や中国から安くて新鮮な魚介類が大量に入る。富山県黒部川河口の入善でも、排砂式の出し平(だしだいら)ダムや宇奈月ダムのヘドロ排出で、モヅクやワカメ、ヒラメ・カレイ・アワビ・サザエ・クルマエビ漁などが壊滅的な打撃を受け、廃業する人が多い。いずこも同じ、後継者が育たないのが悩みと言う。全国的に、漁業の将来は深刻である。
 
紫菜島(のりしま)神社
 故事に詳しい渡部勇氏や出雲国風土記によると、紫菜島神社は津上(つがみ)神社とも言い、ご神体は事代主命(ことしろぬしのみこと、大国主命の息子。恵比寿様)である。海苔・魚介類の豊漁、航海の安全を祈るが、何と言ってもノリを神様にお供えする為の神社である。古来、紫菜島神社は渡部家の隣にあったが大正時代、バスの車庫や道路を作る為に裏山の階段を百段程登った許豆(こず)神社境内に移され、その摂社となった。許豆神社は、四〜五百年前、新羅系の京都稲荷大社から分霊を受け、稲荷大明神を祭る。
 年二度の祭りは十数年前迄は十六軒の島持ちが主催した。十月の、土地の氏神のお稲荷様の祭りは人手不足で廃止されたが、稲荷大社と同日の、旧暦二月初午の祭は三月の第二土曜日になって残る。当日は神職を招いてノリの神様を祀り、初物の一番ノリを供えてノリの豊漁を祈り、笛・太鼓・鈴の音に合わせた獅子舞いで、十六島は賑わう。

ノリの食文化の起源 
 さて、高麗の高僧・一然が1280年頃に著した三国遺事には、「韓国慶州近く迎日県に住むある男が日本海へ行き、履き物を脱いで海藻を採っていたら、乗っていた岩が日本に飛んで来て、男は王になった(本連載23話)」と言う話がある。小澤夫人にその海藻は何と思うかと尋ねると、ワカメかも知れないが、ウップルイノリではないか、と言われた。今ではノリ用の地下足袋を履くが、小澤さんが嫁いで来られた1954年頃は、「島」に着くと、家から履いてきた泥の付いた草履を脱いで手前の岩の上に置き、新しい草履に履き替えてノリを採っていたからである。
 渡部勇さんに、三国遺事と似た話が十六島にあるかどうか尋ねると、昔、朝鮮から船に乗って人がやってきた。村人は、海賊が漂流したのかと思い、武器を持って集まって見たら十六人の僧侶であった。僧侶達は船に沢山のお経を積んでいて、島で護摩を焚き、お経を上げた。その島が十六島岬の先端の経島(きょうじま)で、石碑が建っている。また、護摩の灰を磯に撒いたらノリがよく生え、僧侶は食べられることを教えて呉れた。
 ウップルイ(十六島)の語源は、海苔に付いた砂を「打ち振るう」の訛りとする説(故三浦昭雄)の他、古代朝鮮語の断崖絶壁(?)との説もある。また、この僧達が出雲市に般若寺を開き、十六善神(ぜんじん)と敬われ、これが十六島の語源となった」とも言われる(渡部氏)。
 今日でも、韓国迎日湾の浦項(ポハン)では、ウップルイノリがよく採れる(金南吉、2000)。迎日湾にもこのノリの生育に適した磯があり、古来よく食べたのであろう。
 ぴったりではないが、朝鮮と日本の話は繋がる様な気がする。ノリの食文化は、千数百年前、仏教伝来と相前後して古代新羅から出雲の十六島にもたらされ、隠岐や当時の都へ伝わり、さらに全国に広まった文化なのかも知れない。

2002.10

クョスコニョ    [1] 
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