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  出雲海藻風土記(2) お祓いとホンダワラ
  出雲海藻風土記(2) お祓いとホンダワラ

日御碕余韻

 2002年の和布刈(めかり)神事は、日御碕神社末社、権現島の熊野神社で2月16日午後2時から行われ、3時半頃には無事終わった。御世話になった方々に挨拶して宿に戻る途中、普段着姿の中年の婦人が二人、前を歩いていた。良いお天気でしたね、と話し掛けると、一人は人なつこい笑顔。もう一人は上品な言葉使いと顔立ち。地元の漁師ではない様だ。尋ねてみると、松江から嫁いで来られた高木さん。高木さん?今朝お会いした立派な神官も高木さんだったなと思い、また尋ねてみると、矢張り奥さんであった。話が弾むうちに、高木夫人は、笑顔の女性と一緒にお茶を飲みに来ないかと誘って下さる。私は乙姫様に招かれた様な心持ちでノコノコついて行った。
 乙姫様のお宅は海中ではなく、山道を登った瀟洒(しょうしゃ)な一軒家。庭には紅白の梅が満開で、仄かに芳香が漂う。春蘭やセッコクも植わって、もうすぐ色とりどりの花が咲き乱れそう。乙姫様は花がお好きである。
 応接間には数十センチの魚拓が数枚飾ってある。ご主人は釣り好きで、奥さんも魚拓作りを手伝われた由。奥さんはお茶を入れてお菓子を出して下さる。私は、神社の奥さんに藻や歴史の話をしたり、神社について伺うのは生まれて始めて。ただ珍しく、面白く、時間の経つのも忘れる。亀を助けた事はあったかいな?
 しばらくして、ご主人が和布刈神事の大役を終えて帰宅された。神事の時は衣冠束帯姿で厳かだったが、自宅ではトレーナーにズボン姿でニコニコ顔。疲れも見せずおっとりと、「ここ25年ほど和布刈をしてきましたが天然ワカメが少なくなってきましたね」と仰る。出雲國風土記の「御厳嶋(みいつくしま)、海藻(にぎめ)生う」の御厳嶋は現在の経島(ふみしま)で、和布刈神事発祥の地、日御碕神社のすぐ西の島で、島の上には鳥居と社がある。経島は、天然記念物ウミネコの生息地でもある。ワカメの名産地の日御碕一帯は天然物が減り、近年は安くて品質の向上著しい韓国産に押され、大規模にワカメの養殖を続けているのは民宿のNさん一軒で、もう一軒小規模に養殖をしている漁師があるだけと言う。韓国や朝鮮は古代日本人の故郷ではあっても、伝統ある和布刈神事は地元のワカメで続けて欲しいと思う。ご主人には、神事にまつわる海藻の話、紅藻のソゾ(私が持参した、海藻、千原光雄編、学習研究社から、クロソゾ、ハネソゾ、ミツデソゾと判断された)を澄まし汁に入れて食べる話を伺った。この中で一番美味しいのは、ハネソゾで、クロソゾはまあまあ美味しく、コブソゾは少し硬いそうである。ソゾを食べる話は初耳で、沖縄では毒だと言って食べないそうだ(当真武博士談)。このほか、ウミゾウメンやジンバソウ(神馬藻、ホンダワラ)を三杯酢にして食べる話などもお聞きした。
 高木夫人の実家は松江市内の武内神社で、美保神社、神魂(かもす)神社等々はご親戚の由。神社の事をいろいろお聞きした。夜も更けて、民宿へ帰る山道は真っ暗闇。ご主人が懐中電灯を持って途中まで送って下さった。

佐太神社とホンダワラ
 翌日の午後、出雲大社の神楽殿で島根大学の大谷修司君と待ち合わせ、彼の車に乗せて貰い、東へ約1時間。佐太(さだ)神社に参詣した。佐太神社は昔、出雲大社と出雲を二分する力を有した。大きな神殿が横に三つ並び、前面の幅広い建物は門で、門の前は広くて明るい。右手前に棚が据えられ、数種類のホンダワラ類が掛かっている(写真)。ホンダワラ類は根・茎・葉を持ち、ヒジキに似た高等な褐藻で、藻体を浮かす為の小さな浮き袋は稲穂の穀粒に擬せられる。出雲ではこの海藻を総称してジンバ、ジンバソウ、佐太神社では潮草(しおぐさ)と言う。「何故潮草を潮草架けに、架けるのだろう?」。以下は主に、佐太神社の朝山芳圀(よしくに、国構えの中の「方」は「土」が正字)宮司から伺った話。
 佐太神社で日常の神饌に使う海藻は、地元産のイワノリ・ワカメの他、昆布ぐらいだが、お祓いには潮草を使う。例えば、不幸の後、仏教では49日、神道で50日の忌が明けると、家族は海に行って海水で口をすすぎ、手を洗って禊ぎをする。次に、潮草を濱辺から神社に持参し、団扇で扇ぐように潮草で自分の身を祓い、竹製の潮筒(しおづつ、潮汲(しおく)みタガ、潮タガとも言う)に汲んで来た海水で手を洗う。昔は、潮草を掛けたり潮筒を置く場所がなく、潮草は神社の横の柱か壁に打った釘に掛けるか、賽銭箱の隅に置いた。しかし建物も傷むので、特別の名前はないが「潮草架け(写真)」が出来、潮筒もその側に置くようになった。その頃、昭和57年、佐太神社は重要文化財に指定されたそうだ。
佐太神社門前の潮草架け(仮名)。潮草架けの上には身を祓った後の数種のホンダワラ類(ジンバソウまたは潮草)が架けてある。
潮草架けの右に掛かっているのは竹製の潮筒(しおづつ)で、手を洗う禊ぎに使われた。

 佐太神社では、9月24日の御座替え(ゴザガエ)、つまり神様の座られる一畳位の畳の取り替え神事の際にも潮草でお祓いする。また正月、一般家庭では竹を天井から吊るし、年神様(としがみさま)に大根、カブ、魚(主に鯛)とジンバソウをお供えする。この際のジンバソウはお祓いと言うより稲穂の代わりではないかとの事である。つまり、ジンバソウの正式和名はホンダワラであるが、その語源の穂俵(ホダワラ)としても神事に使われている訳である。また、朝山宮司のお宅では、三宝の下の足のない折敷(おりしき)と呼ばれる台に、正月前から大根、カブ、昆布などを載せてお供えし、ジンバソウは使わないそうだ。朝山家の先祖は、大伴家持など万葉の歌人を輩出した古代豪族大伴氏で、中世に出雲朝山に来て出雲を支配したが、それは出雲のジンバソウや潮草文化とは異なる文化であった様だ。
 神事に使った潮草は、例えば正月の後はトンド(左義長)で燃やす。昔は田舎の十字路に御神木を立て、正月に神様にお供えした注連縄(しめなわ)やお札と一緒に潮草を燃やした。決してゴミ箱に捨てたりはしない。海岸部でも潮草は食べない様で、佐太神社でも普通食べるのはワカメぐらいだそうだ。

隠岐の海藻神事  
 隠岐は島前(どうぜん)の三つのやや小さな島と、島後(どうご)の一つの大きな島からなる。島後の隠岐総本社の玉若酢(たまわかす)神社では、6月5日に例大祭を行い、国の重文に指定されている勇壮な馬入(うまいれ)神事や流鏑馬(やぶさめ)神事を行う。同神社の億岐(おき)正彦宮司や億岐イマ子氏に依ると、その際、馬に付く人、行列に付く人は、例大祭の当日、禊ぎの為に海に飛び込み、生い茂るモバ(ホンダワラ類の隠岐の方言)を採って鉢巻きに挟み、神社に詣でる。馬のお祓いには、轡(くつわ)の横にモバを架ける。また、普段の神饌(しんせん、神様への供え物)の海藻として、海苔・昆布・ワカメを供え、例大祭では必ずテングサ(マクサ)も供える。
 島前の隠岐神社の村尾周宮司に依ると、隠岐には神様は海から上がって来られたという信仰があるそうだ。これは新羅第4代脱解(とへ)王の建国神話とも似ている様に思われる(
三国遺事、もっと藻の話、13話)。また島前では正月に、海藻であれば何でも良いが、三宝に盛ってお供えする習慣がある。海で禊ぎを行い、その証拠としてモバを一握り神社に持参し、賽銭箱や欄干の上に架けてお参りする。このモバも注連縄とか榊などと共に燃やすので、時には一月程そのままの事もあるそうだ。

ジンバと塩のお祓い
 出雲では、海にはケガレ、即ち、気(け)の枯れ、つまり、気力・生命力の衰え、を祓う力、浄める力、再生させる力があると信じられて来た。海藻のジンバ(ジンバソウ、モバ、ホンダワラ類)でお祓いし、海水で禊ぎをする地域が多いが、ジンバも海水も海と同義である。ジンバで祓いをするのは、松江市内の多くの神社、鹿島町の佐太神社、石見の大田・濱田・益田の神社、隠岐の神社、福岡県の神社などである。ところが、同じ出雲でも出雲大社や日御碕神社ではジンバ(潮草)では祓いをしないそうだ。ワカメなど他の海藻が代わりをしているのかも知れない。
 因みに、富山では、多くの神社で昆布とスルメを神様にお供えするが、ジンバではお祓いをせず、海水の代わりの塩を使う。お祓いとか浄めの塩の源は、やはり海なのである。
 海藻に関する神事を見ると、古代日本人の海や海藻に対する思いが、現代の我々には想像も付かない程大きかった事が分かる。いつしかそれは古代新羅人のそれにもつながる。環日本海文化と言われる由縁であり、出雲はその一大中心地ではなかっただろうか。

2002.06

クョスコニョ    [1] 
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