曽呂利新左衛門をご存知でしょうか?ウィキペディア(フリー百科事典)には、「豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物。落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残した。元々、堺で刀の鞘を作っていて、その鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたという(『堺鑑』)。架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説がある。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われる。」とあります。
新左衛門は、秀吉からの褒美として、1日目に米1粒、翌日は倍の米2粒、その翌日にはさらに倍の米4粒と日ごとに倍の米粒を100日間もらう約束をしました。大したことはないと思った秀吉は簡単に承諾しましたが、計算すると100日目に膨大な米粒になることが分かり、他の褒美に換えてもらったという逸話はあまりにも有名です。
また、同じく秀吉からの褒美として、大名たちが集まった席で秀吉の耳のにおいを嗅がせてもらう約束をしました。大名たちには、新左衛門が秀吉に告げ口をしているように見えるため、その後新左衛門のところには大名たちからたくさんの進物が送られてきたという逸話も有名です。
さて、その新左衛門が詠んだ歌に、「ご秘蔵の 常盤の松は 枯れにけり おのが齢を 君にゆずりて」があります。この歌は、秀吉が丹精込めて育てていた松の木が枯れてしまって、大いに落胆しているときに詠んだものだそうです。秀吉は、松の木が枯れたことに落胆しただけでなく、それを「凶兆」と受け止めていました。戦国時代では、こういった事象で吉凶を判断することが多かったようです。しかし、この歌が、秀吉の機嫌を直し、さらに凶兆と受け止めていたことを「吉兆」に変えてしまいました。その間、「松の木が枯れたという事実」は何も変わっていません。
この話を知った時、ものの見方の大切さを改めて痛感いたしました。ある経営セミナーでは、客観的・多角的に物事を考察することを「複眼思考」と呼んでいます。私を含め多くの人は、物事を主観的に一方向から眺めていることが多いのではないかと思います。複眼思考をいつも心がけてゆきたいです。
ところが、体調を崩したり病気になると、見たり考えたりする幅が狭くなる傾向が強くなり、それもよりマイナス思考へと進んでしまうのではないかと思います。マイナス思考はさらに病気を悪化させることになり、悪循環へと陥ってしまいます。プラス思考にならなければ、と頭では分かっているのですが、自分自身ではどうにもならないことも多いのでは多いのではないでしょうか。
このようなときには、家族や友人の協力によってプラス思考へと導いてもらうことが陽転への近道だろうと思います。私どもは、そんな友人の一人になりたいと願って、今日も笑顔で活動しています。
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