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「330000」
  08.05.15 長門一宮(ながといちのみや) 住吉神社の和布刈(めかり)神事(3)
 

驚き・桃ノ木・山椒の木・・   

 住吉神社の和布刈神事を終え、ビジネスホテル新下関に戻った。部屋廊下広くて安く、神社から徒歩15分、JR新下関駅からだと2分である。フロントで七十位の男性が、遠くからご苦労様です、と言って部屋の鍵を渡して呉れた。ここは住吉神社への信仰が熱いですね、と私が言うと彼は、ええーそりゃー、と誇らし気だった。西暦二千年、住吉神社千八百年祭記念事業では、石畳、石灯籠、太鼓橋、大鳥居等(写真参照)を総額一億九千万円で修復。

住吉神社境内。この写真で、池の奥の赤い太鼓橋を左に進み、木の陰になった階段を登ると拝殿(重要文化財)と本殿(国宝)がある

 

 フロントの男性も高額の寄付をしたそうで驚いた。昔は農林技師で品種改良をしたそうだ。伊勢神宮の神饌田(神饌米を作る田)で台風の時一本だけ倒れんで立っちょったコシヒカリを山口県の農事試験場で試験して出来た新品種「伊勢光」を、住吉神社の神饌田で栽培してるとか、みかん品種の春見(はるみ)や夏見(なつみ)を自宅で栽培し、宿泊客に出して喜んで貰ってるとか、F1とかF2と言う遺伝学用語も出てくる。それで、私も農学部出身で遺伝学専攻でした、と言うと彼は、向井輝美君(遺伝学教室の大先輩で世界的な遺伝学者。文化功労者エジンバラ公賞受賞決定直後急逝)は中学以来の友人だったと言われ、とても驚いた。私も向井先生と親交があったのだ。後で話を伺いたいと思い名刺を頂くと、藤本正躬(まさみ)氏で、ホテルの社長だったので、三度驚いた。先祖代々住吉神社の氏子である藤本氏に依れば、昔は和布刈供奉員(ぐぶいん)の希望者が多く、なかなか順番が回って来ず、供奉員に選ばれる事自体、大変な名誉だった。氏は数回選ばれ、今年は息子さんが選ばれたが、神功皇后創建以来千八百四年の神社史上、氏子以外の供奉員は私が最初だった。また、壇の浦往復の際、乗せて貰った車は息子さんが運転されてたと聞き、四度驚いた。

       

竹と松で松明(たいまつ)

 藤本氏に依れば、1970年頃迄使った和布刈道は、廃道になった農道や用水路もあるが、大半は国道になり、交通量が増し危険になった。供奉員は和布刈神事の際、地下足袋に藁草履をはき、予備の草履を腰にぶら下げ、神社と壇の浦迄の片道一時間以上の和布刈道を歩き、大量のワカメを刈った。旧暦の一日は月がない。往復四時間近い照明は松明一本だけだった。供奉員各自が用意する松明は、枯れ竹を四つに割り、直径2030 cm、長さ34メートルに束ね、竹の中に肥松(こえまつ、「え」は「い」に近い音)を必ず忍ばせた。肥松は、近くの山で掘り起こした百年を超えるクロマツの切り株を鉛筆の様に細く切った物で、松ヤニをたっぷり含んでいるので、切り株でも腐らないし、竹に混ぜると火が消えず長持ちした。近年は山に肥松がなく、松明(たいまつ)は竹明となり、灯油をかけて火をつけたり消えない様にしている。大きな時代変遷の中、伝統ある神事を昔のままに保つのは不可能の様である。

 ところで、タイマツの語源は「焚き松」とされる。しかし、竹と松で出来た松明の語源は竹松で、コエマツがコイマツとなった様に、竹松はタキマツとなり、更にタイマツとなった様に、私には思えた。

 

三社の和布刈神事の意味

 和布刈神事では、旧暦新春、万物に先立ち清浄な海に生れる神聖なワカメを刈って神前に供え、豊漁と航海の安全を祈り、お下がりを食べて身を浄める。前にも述べた様に、現在、日本では少なくとも三つの神社に和布刈神事が残る。

 まず、出雲・日御埼(ひのみさき)神社の和布刈神事は、社伝に依れば、第13代成務(せいむ)天皇六年正月五日(約1850年前。歴史学的には約1650年前)の早朝、一羽のウミネコがワカメをくわえて神社の欄干に三度も掛けたのを、不思議と思った神官が神前に供えた故事に始まる。公開で、地元の人多数が見守る中、神官がワカメを刈る。和布刈神事の後、寒海を約十名の裸の若者が泳ぐのは、古来日御碕では男のアマに依る潜水漁が盛んだった事(出雲風土記)の現れで、当時の日本が平和だった事を意味している様に思われる。

 一方、下関の住吉神社や門司の和布刈神社の和布刈神事は、朝鮮から凱旋した神功皇后が応仁天皇を出産直後に始められた、旧暦元旦未明の秘事である。その時間は一年最大の干潮で、和布刈が容易である。秘事の理由は、和布刈を新生命誕生のお産に模した故かも知れない。また、古代朝鮮では王が海から生まれた神話がいくつかある事、日本の法事は昼間行われるが、朝鮮半島では先祖の霊を迎えて祀る祭事(チェサ)が未明行われる事、古代朝鮮百済系とされる天皇崩御に際して、新天皇の即位や前天皇のお葬式が夜行われるなど、朝鮮文化の影響もあるのかも知れない。前年・今年・来年は、前世・今世・来世に繋がり、神様やご先祖様が好きな、深夜や未明がその接点なのではないだろうか。旧暦では、一日の始まりが夜明であった事とも、うまく合っている様に思われる。

 また、和布刈神事が秘事なのは、単なる豊漁や航海安全祈願からだけではないだろう。対岸迄僅か七百メートルの関門海峡は、古事記の神功皇后の新羅征服以来、大内・毛利・豊臣氏も関わり、源氏と平家・幕末には長州と英国が戦い、徳川・明治期には北前船、そして戦前は八万トン級の戦艦も通る等、いつの時代も日本にとって軍事・外交・商業上の動脈航路であった事が、秘事として続いた大きな要因だったのかも知れない。

 

日本の宗教

 日本古来の宗教は(古)神道であるが、外来宗教では仏教の影響が最大で、儒教や老荘思想も無視出来ない。また日本には、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒もいる。

 本来の仏教は生老病死の苦から逃れる為に出家し、煩悩を捨てて悟りの境地を開く。そうすると仏によって生かされ、各人の力が発揮出来ると説く。しかし、今の日本で家を捨て出家する僧は稀で、大抵は妻帯・肉食して寺に住み、家を持つ。儒教では長幼の序を重視し、親に孝行、主君に忠義、近きより遠きに愛を及ぼせと説く。これは、為政者に都合の良い社会秩序維持規律で、個人の自由な思想を押さえ、社会の発展を押さえた。逆に、老荘思想は、儒家の説く秩序維持規律を離れ、宇宙の真理に自己の生き方を一致させれば、平安が得られると説く。また、キリスト教やイスラム教は元来ユダヤ教に起源を発し、唯一絶対の神を信じよ、そうすれば罪深い我々は救われると説くが、現実には争いが絶えない様だ。唯一絶対でもない人間が、自分こそ絶対正しいと信じ過ぎるのかも知れない。

 ところが、古神道では、まず自分の先祖を崇拝する。また、太陽や月、山や川や海、樹木、家、便所などなど、身の回りのどこにでも神が宿り、また万物が神になる。つまり、我々を取りまく自然全体を大切にして敬えば、我々は幸福になれると説いている様に見える。神道は表面的には世俗的だが深遠な老荘思想にも通じ、現在注目の環境保全の心にも通じるようにも思われる。

 神道は考え方が正反対の仏教さえ受容し、矛盾の克服過程で、独自の神仏混淆思想を生んだ。クリスマスにはキリストの生誕を祝って、キリスト教でも何でも包み込んでしまう。この混沌たる現代世界を解決出来るのは、不思議な独創性に富み、すこぶる曖昧で楽天的で、正反対の思想をも包含してしまう、古神道の包容力なのかも知れない。そこに、和布刈神事の様な古い神事が、続けられる意味が有るのではないだろうか。

2004年6月

クョスコニョ    [1] 
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