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  08.10.29 天才と大発見-2
 

メンデレーエフの周期律表

 数学や物理学だけでなく化学でも、天才の発見した基本原理がある。ロシアの化学者メンデレーエフが発見した元素の周期律表(1869)はまさに化学の基本原理だろう。当時知られていた約60種の元素を、原子量の軽い順に、水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオン・・・と順に並べると、例えばナトリウムとカリウム、マグネシウムとカルシウム、フッ素と塩素の様に、性質の似た元素が8個目ごとに現れる事を発見した。こうして出来た周期律表の中で空白だったカルシウムとチタンの間のスカンジウム、亜鉛とヒ素の間のガリウムとゲルマニウムなど、27個もの新元素の存在を予言し(1871)、予言どおりの新元素が次々と発見された。この発見は、同位元素の発見や量子力学の創設に多大の貢献をした。もし周期律発見がなかったら、化学は錬金術師の暗躍した中世に後戻りしかねない、と私は思う。

 

歴史と生物は物語 

 数学や物理、化学には論理性があったが、生物学には乏しい様に見える。自然を観察し、実験しなければ分からない事があまりに多く複雑なのだ。高校の生物は、歴史同様、暗記科目などと考え、生物を嫌いにさせる先生もいる程だ。

 しかし、歴史は不規則な事象の丸暗記ではない。フランス語のhistoire(イストワール)には歴史と物語の2つの意味があり、英語のhistory(歴史)や story(物語)の語源となったが、歴史は時間と空間を使った、人間の連続物語である。千一夜物語にはアリババと40人の盗賊とかアラディンと魔法のランプの様な子供向きの話もあれば、官能的な大人用の話もあり、それぞれ心ときめいて楽しい。千一夜物語は幾重にも物語の中に物語のある興味深い大物語だが、歴史も同様である。従って、重要事件の内容を把握し、その背景、後代や他地域への影響を考えると、現在の状況がハッキリし、将来の予測にも役立ち、楽しくなる。国によって異なるが、歴史は千一夜物語の比ではない。さしづめ日本では二千年物語、中国では四千年物語であろうか。

 生物学も歴史に似ているが、空間(環境)は地球だけでなく太陽や月をも含む。時間も千一夜物語や歴史の比ではない。生き物の35億年物語なのである。

 

19世紀、生物学の大発見

 生物学上重要な発見は19世紀に相次いだ。フランスのクロード・ベルナール(1813-1878)は胃液や膵液の働き、肝臓のグリコーゲンなどを発見し、近代生理学の祖と称えられる。彼の「実験医学序説、1865」は単なる医学書ではなく、総ての学問に通づる哲学的名著で感銘深い。彼曰く。「実験は主観と客観の間の唯一の仲介者である」。「実験は哲学的疑念に立脚すべきである」。「実験家は精神の自由を保持せねばならない」。「実験的方法とは、精神と思想の自由に立脚する科学的方法である」などなど。また、ある人が敬虔なカトリック教徒だったベルナールに、聖書の教義と合わない時はどうするのか、と尋ねたら、即座に彼は「私は実験室に入ったら聖書の事は総て忘れ、ただ誠実に実験と観察を行う」と答えたそうだ。これらは、総て自然科学ばかりか、人文科学や社会科学にも通づる根元的哲学で、同じフランスのデカルトにも通づる様に思う。

 ダーウィン(Charles Darwin, 1809-1882)は若い時、軍艦ビーグル号で南米ガラパゴス諸島などを訪れ、各島ごとに少しずつ変わった動物が見られる事を発見した。後に種の起源(1859)で、園芸家や育種家が新品種を作る様に、自然は多数の子の中からその環境に最も適したものを選び出し、それが後代に伝わって進化が起きたと唱えた(ウォーレス、1823-1913、も同説を同時に発表)。

 フランスのパスツール(1822-1895)はギリシャのアリストテレス以来の「生命自然発生の説」を実験的に否定した(1861)。汚い壷の中に小麦を入れて暗い所に一ヶ月も置くと自然にネズミが発生すると思う様な人もいた時代、彼は微生物でも必ず親から生まれる事を実験的・論理的に示した。また、狂犬病の免疫療法やパスツール法と呼ばれるワインや牛乳の低温殺菌法を発明した事でも有名である。

 ドイツのロベルト・コッホ(1843-1910)は夫人の助言でゼリーを用いて細菌を単離培養する方法を発明。炭疽菌・結核菌・コレラ菌等を発見し(1876-1883)、細菌学を開いた。北里柴三郎(1853-1931)はコッホの弟子で、破傷風菌やペスト菌などを次々と発見し、有力な第一回のノーベル賞候補であったが、東洋人に対する人種差別の故に貰えなかったといわれる。

 チェコスロバキア(旧オーストリア)のカトリック僧であるメンデル(1822-1884)の論文(1866)は極めて独創性が高く、引用文献も謝辞も無い事で有名である。膨大で綿密な実験をエンドウで数年かけて行い、データを数学的に整理し、遺伝の法則を発見した。彼は、法則の例外、つまり沢山の遺伝子が同じ染色体上にある事にも気付き、減数分裂を見通していた事は、彼の論文から容易に推測出来る。 

 その減数分裂は、ベルギーのファン・ベネデット(E. van Beneded)が、回虫は卵や精子を作る際に染色体数が半分(2本)に減る事を示して発見した(1883)。

 これらの大発見に含まれる原理と方法論は非常に重要で、彼等のお陰で我々は占い、まじない、神話の世界から近代生物学・近代医学の世界へと移行出来たのである。

 

藻類学の大発見者、ハーヴェー

 さて藻類は、テングサ・オゴノリ・フノリの様に赤い藻を紅藻、アオサ・アオノリ・マリモ・ミカヅキモ・アオミドロの様に緑色の藻を緑藻、コンブ・ワカメ・モヅクの様に黄褐色の藻を褐藻と、色に依って3つに大別する。これを提唱したのはアイルランドの植物学者で藻類学者のハーヴェー(William Henry Harvey, 1811-66、写真)である。クウェーカー教徒の商人の子として生まれた彼は、植物学を修め、ダブリン大学で教鞭をとったが、海藻は体の色が違うと体構造や生殖器官にも違いのある事に気付いた(1836)。性格が友好的で、例えばダーウィンとも親交があり、その影響もあって若い時からオーストラリア、北アメリカ、南アフリカなどに行って研究した。彼の作った10万点にも及ぶ標本は現在アイルランドのダブリン大学Trinity collegeに所蔵されている。

 

褐藻の葉緑体は妊婦の嫁入り

 ハーヴェーの藻類分類法は始め支持者が少なかったが、色の違いは光合成色素の違いである事が後で分かった。紅藻はクロロフィルa やフィコビリン、緑藻はクロロフィルaとクロロフィルb、褐藻はクロロフィルa、クロロフィルc、キサントフィルなどの色素だ。同化産物も、紅藻は紅藻デンプン、緑藻はデンプン、褐藻はラミナランなどと異なる。

 また、色素の違いは葉緑体の構造の違いと関係する。例えば、紅藻と緑藻の細胞は、太古の昔、バクテリアの様に核を持たずに光合成を行う藍藻が、核を持った真核生物に1回だけ共生して葉緑体が出来た生物である。喩えて言えば、処女(葉緑体)が夫の家(真核生物)に身一つで嫁いで来たような物である。その中で、紅藻は葉緑体の中で実際に光を受容して酸素を発生する板の様な膜構造(チラコイド)が1層なのに、緑藻は多層に積み重なっている。

 ところが褐藻の先祖は、一度、藍藻が共生して出来た単細胞の藻が、もう一度他の真核生物に共生した藻である。ちょっと下品な喩えで恐縮だが、天智天皇の子の藤原不比等を孕んでいた天皇の愛妾を有り難く正妻に迎えたと言われる藤原鎌足みたいなのが褐藻の先祖と言う訳で、褐藻の葉緑体は不比等に相当する。その後、褐藻の先祖は、まるで藤原氏の様に分家して、例えば珪藻や褐藻に分かれ、それぞれ栄えたのも興味深い。

2005年4月

クョスコニョ    [1] 
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