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「330000」
  09.06.18 進化論の進化(1)
 

学問の社会性    

 歌は世につれ世は歌につれ、と言うが、学問も社会に大きな影響を与え、逆に社会の影響も受ける。例えば、フランスのパスツール(Pasteur, L. 1822-1895)は、ブドウ酒会社からブドウ酒の酸敗防止法、つまり酸っぱくならない方法を尋ねられ、60℃位の低温で殺菌するパスツール法(Pasteurisation)を発明した。この方法はオートクレーブ法(加圧湿熱滅菌法、圧力釜で水蒸気を20分間121℃に維持し、総ての生物を殺菌する方法)などとは異なり、総ての生物を殺菌するわけではないが、タンパク質などを壊したり変性させない。従って、風味を維持したり増す効果があり、今日、牛乳の殺菌などにも用いられ、我々も日々その恩恵に浴している。また、パスツールはパスツール研究所の守衛の子供が狂犬病の犬にかまれて、死を待つばかりであったのを機に、狂犬病の治療法も発明して子供を救った。また、当時社会問題だった「細菌のような微生物も必ず親から生まれ、自然発生はしない」ことを証明したのも彼である(自然発生説の検討、岩波文庫)。

 ところで、進化学もまた社会情勢や宗教の影響を受け、またそれらに影響を与えた。一般に、進化の概念は神や超自然の概念とは相容れない。例えばユダヤ教やキリスト教のように「全知全能で絶対なる神が万物を創造した」という考え方からは、バクテリアのように単純で原始的な生物が、長い時間をかけて次第に複雑で高等な生物に変化したという進化論は生まれない。実際、アイルランドのアッシャー(James Ussher 15811656)は旧約聖書の創世記や古代エジプトの暦法等々を研究して年代記(1650)を出版し、地球は紀元前40041023日夕方作られたと唱えた。彼は13歳で大学入学、20歳で修士の学位を得た大学者で、ダブリン大学の副学長、カトリックのアイルランド大司教でもあったから、彼の説は当時大変な権威があり、大方が信じた。

 本邦の古事記の神話では、八百万の神々直系の子孫が皇室や豪族で、庶民は彼等から更に派生したと考えられる。神から人間に退化したわけで、日本同様都市国家が発達したギリシャ神話と、人間臭い神々が沢山いるところなど似ているが、進化の方向とは逆である。一方、佛教の「佛様が宇宙を統一している」とか「諸行無常」観は、不思議と進化論と何ら矛盾しないばかりか、進化を含めた自然全体を見通しており、古代インド哲学の深遠さには驚かされる。

 

フランス革命とラマルクの用不用説(1809 

 進化論を初めて唱えたのはフランスのJ.B.ラマルク(1744-1829)である。当時のヨーロッパはキリスト教社会であったから進化論は生まれない筈だった。また、王権は神から与えられたもの(王権神授説)と考えられたから、国王の命令も絶対であった。

 ところが、フランス革命(1789)の後、ルイ16世やマリー・アントワネットがギロチン台の露と消え、天地が逆になって王権が失墜し、神の権威も弱まった時に、進化学者ラマルクが生まれた。植物学者だった彼は、フランス革命の年に動物学に転じ、動物を脊椎動物と無脊椎動物(ラマルクの造語)に分類し、後者の研究を行った。次いで、生物は神が創造したのではなく、無生物(無機物)から発生したと唱え、用いれば用いるほどその器官が発達するという用不用説も唱えた。例えば、キリンは高い樹木の上部の葉を食べたいと思って首を伸ばしている内に首が次第に長くなったと言うわけである。ところが後に、ヴァイスマン(Weismann, A. 1834-1914)はネズミの尾を22代切り続けたのに短尾の子は生まれなかったので、獲得形質は遺伝しない、と主張した。両親や祖父母がいくら勉強してもその成果が子に遺伝するわけではないから、獲得形質が遺伝しないことは、私も日々実感している。しかしヴァイスマンのネズミの実験はたかだか22代、数年のことだし、進化は数万年から数十億年という時間のスケールである。また高い木の上部の葉を食べようとするキリンは首や足が長くなりたいと思うだろうが、ネズミにとって歩行のバランスを取る尾を切られるのは迷惑千万なことで、ヴァイスマンの反論は不完全に思える。結局、ラマルクは、神が造物主だという概念を脱却して、進化の概念を生物学(biology という言葉も彼の造語)に導入した進化学の大恩人なのに、用不用説も彼自身も否定され、晩年の彼は不幸だったという。

 

帝国主義とダーウィンの自然淘汰説(1858

 ダーウィン(Darwin, C. 1809-1882)は、科学的な方法で生物進化の謎を解きあかした。彼は20代の5年間を軍艦ビーグル号に乗って世界を旅し、膨大な博物学的見分を蓄えた。例えば南米のガラパゴス諸島では、島により少しずつ異なったゾウガメがいることに気付いた。また、マルサス(1766-1834)の人口論(1798、人口は幾何級数的に増えるが、食料は算術級数的にしか増えない)を読んで、一般に生物は多くの子供を産むが、ごく一部しか残らない事に注目し、自然界ではその環境に最も適した子供が生き残り、それが代々伝えられて進化が起こったという、自然淘汰(natural selection)による適者生存(survival of the fittest)説を唱えた。このような進化論が英国で出たのは、産業革命後、英国の経済が大発展し、優勝劣敗・適者生存で世界中に植民地を増やした帝国主義の絶頂期だったからで、儒教道徳や神秘に覆われた東洋の国々でなかったのは勿論、古に栄えたヨーロッパ諸国や未熟な新興国アメリカでもなかったのは当然であろう。  

 ウォレス(Wallace, A.R. 1823-1913)も、南米や東洋の国々の地形や生物相を観察し、矢張り自然淘汰に依る進化論を唱えた(1858年)が、彼もダーウィンと同時代の英国人であった。彼は後年、わずか35kmしか離れていないインドネシアのバリ島とロンボク島の間で生物相が東洋亜区とオーストラリア区に分かれていることを発見(1868)したように、地理・地球環境と生物相との関係に特別の関心があった。

 

藻の生息環境と放射線耐性

 さて、生物進化が自然環境と密接に関係しているのは、キリンやガラパゴス諸島のゾウガメだけではなく、ミカヅキモのような接合藻についても言える。水質を表す腐水度には腐水度1の綺麗な水質(貧腐水性)から腐水度4の強腐水性まであり、水が腐る原因になる有機物(例えば、生物の死骸や排泄物)の量にほぼ比例する指標である。有機物が多くなればなるほど、細菌は益々繁殖して酸素を多く消費するので溶存酸素(水中に溶け込んでいる酸素)が減る。腐水度が増すと、突然変異を起こす亜硝酸なども増え、生き物は突然変異を修復する為の、より強力な仕組みが必要になる。従って、近縁の生物間では、腐水度の高い汚い所に住む生物ほど、放射線耐性が強いのではないだろうか?

 接合藻は腐水度1から腐水度3のαー中腐水性に住むが、腐水度の高い、汚いところに住む藻ほど、突然変異を誘起する放射線にも強いのではないだろうか?と私は思った。そこで、京大原子炉実験所の石田政弘先生のお世話になって、γ(がんま)線を照射して耐性を調べてみると、腐水度1に住むコウガイチリモの50%致死率(LD50)は25Gy(グレイ、人間のLD50は約4Gy)であったが、腐水度2のオオミカヅキモやハタヒモでは125Gy140Gy、腐水度3のナガミカヅキモでは195Gyとなって、一般に生息する腐水度が高くなるほど、γ線に対しても強いことが分かった。これは、緑藻類の他のグループのクラミドモナスとクロレラについても、腐水度のより高い場所に生息するクロレラの方がγ線に強く、一般化出来る現象のようであった(Hamada et al. 1990)。

 結局、生物は環境の影響を密に受けて進化してきたし、また進化した生物が、環境に対して影響を与えてきたのである。進化とは、まさに歌は世につれ、世は歌につれの心ではないだろうか。

 2005年10月

 

 

 

写真の説明:上からコウガイチリモ、ハタヒモ、ナガミカヅキモ。

クョスコニョ    [1] 
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