こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に・・・
これにメロディをつけて読まれた方はかなりの懐メロファンです。サトウ・ハチローさん作詞、古関裕而さん作曲で、藤山一郎さんが唄った「長崎の鐘」です。
「長崎の鐘」は、長崎医科大学教授・故永井隆博士(当時は助教授)の著書名です。1945年(昭和20年)8月9日に投下された長崎原爆。博士は大学で被爆して重症を追い、自宅で夫人を失いながらも救護・医療活動に従事しました。翌1946年7月長崎駅で倒れて病床に臥し、1951年(昭和26年)5月1日に二人の幼子を残して亡くなりました。
今年も、8月6日に広島で、そして9日に長崎で平和記念式典が執り行われました。長崎市長による平和宣言では、博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである。」との言葉を引用して世界に核兵器廃絶を訴えました。両市の平和への強いメッセージ(平和宣言)が全世界に届くことを願ってやみません。
毎年この時季に、博士の「この子を残して」(中央出版社)と「長崎の鐘」(アルバ文庫)を読みます。
長崎の鐘は、
昭和20年8月9日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのであった。
で始まる、自ら被爆しながらも多数の被爆患者を治療した被爆体験の記録です。博士は自序の中で、
現場のスケッチも、傷の写真も、解剖したことも、標本もないので、医学論文としての価値はないでしょう。これは医者の立場から見た、原子爆弾の実相をひろく知らせ、人びとに戦争をきらい、平和を守る心を起こさせるために書いたものです。
と述べていますが、そのとおり、本書の最後には、
人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟に従って相互に協商せよ。浦上人は灰の中に臥して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと。
と病床の中から強く平和を祈っています。
しかし、本書は「平和への祈り」だけではなく、平和への道を博士自身の生き様から示してくれているように思いました。
博士の精神は「如己愛人(己の如く人を愛せよ)」です。この言葉は、聖書の一節だそうですが、宗教を問わずこの精神はとても大切だと思います。言葉を変えれば、「利他の心」であるとか「人に対する優しさや思いやり」というものです。博士が、この精神の下に献身的に救護・医療活動をしたことが、本書からうかがい知れます。
こういった精神をみんなが持つことができれば、争いごとはなくなり、つまるところ平和へと繋がるのだと強く信じています。