不思議なご縁
昨年(2003年)の11月、私は中学と高校で古文を習った藤井茂利先生に誘われ、釜山で行われた日本語教育・日本文化研究学会に出席し、日本と韓国(朝鮮)の古典に見られる海藻の種類について発表した(本連載35話、03年12月号掲載)。また学会では、米英軍のイラク侵略について肯定的に発表した日本人がいたので、質問して異議を唱えた。すると、藤井先生の他、中国から来ていた約10人の研究者が、私の発表と質問がとても良かった、と誉めて下さり、特に、名古屋大学の大学院を出て、現在は大連大学副学長の宋協毅先生は、「先生の発表はとても面白かった。質問も良かった。勇気がある。大連で学会をするから是非来て下さい」と言われた。物言えば唇寒し秋の風。保守的な富山で孤立している私はとても嬉しかった。
その後、今年2月、宋先生から手紙を頂き、7月23日から25日まで大連で、中・日・韓・日本語言文化研究国際検討会、と言う学会を開くから発表して欲しいと言う依頼を受けた。私は国語(日本語)学者ではないし、実は、中学や高校では国語は苦手だった。まず悪筆で誤字が多い。文法も面倒くさい。何よりも、現代国語の試験では不可解な設問に悩まされた。例えば、ずらずらと文章を並べた後に、「作者はどう思っているか?」などと問われて、私は思案投げ首。文章中の当たり前の様な答はまさかそんなに簡単な筈がないとか思って、全然違う自分独自の難しい考えを書いたりして、大体いつも×になった。しかし後年、著者はどう考えているか、と言う質問の答えを聞いた当の著者が、へえー、自分はそんな事を考えたのか、と驚いたという話を聞き、「そもそも、設問自体が愚問だったのだ」と分かって安心した。また1990年代後半からは、ワープロやパソコンを使う様になり、国語の苦手意識から随分解放された。
それはともかく、海藻をよく食べる日本人や朝鮮人と人類学的にも言語学的にも近い、旧満州人の海藻食を含む諸文化についてはとても関心がある。そこで大連の学会にも参加し、今度は和布刈(めかり)神事について発表する事にした。理由は、神社とか神事といえば、初詣とか七五三参り、困った時の神頼みぐらいにしか思ってない日本人が多いし、総理大臣が靖国神社に参拝すると、中国や韓国で猛烈な反日運動がおこり、神道は軍国主義と結びついている、と考える人が国の内外にいるからである。しかし、国家神道でなく古神道は、古来中国や朝鮮半島の影響を大きく受けた、本来は身の回りの自然や先祖を敬う伝統的な日本文化であり、東アジアに共通する古い精神文化でもある。学会ではこの東洋文化を理解して貰いたいと思ったのである。
大連市と交通
案内書などによると、大連市は人口540万人、面積12600平方キロメートルの大きな市で、週3便、富山から直行便が飛んでいる。12時20分に富山を出発すると、現地時間の14時(日本時間では15時)に、大連市の中心部から北西へ15キロ程離れた大連空港に着く。大連空港には私の名前を書いた紙を掲げた若者が立っていた。宋協毅先生の依頼で日本語学科2年生の祝洪黎(ジュ・ホンリ)君が迎えに来て呉れていたのだ。彼は丸顔でニコニコした学生だった。空港の建物から一緒に外に出て先ず驚いたのは、富山同様とても暑い。日本で言えば山形か宮城ぐらいの緯度だから、夏の暑さは当然かも知れないが、湿度が異常に高い。町全体に薄い霧がかかり、山は霞み、蒸し風呂の様だ。租借地としていたロシアの影響か、西洋風の高層ビルが多い。駐車場には大連大学の先生が待っていて、車を運転して下さった。大学は空港から北東へ約40キロ。経済技術開発区の大黒山の近くにある。道は広くて6〜10車線もある。中国では一般道路の制限速度は100キロ、高速道路は120キロだそうだが、混雑した一般道路なのに、車は時に100キロ以上の速度で走る。新しい乗用車や大型トラックも多いが、日本では廃車同然のポンコツ乗用車や小型三輪トラック、ロバの荷車、大八車も通っていて、交通博物館の様だ。その廃車同然の車が信号のない広い道を猛然と我先にと走るのだから恐しい。富山では、交通量の少ない田舎道にまで信号を増設し、信号の待ち時間がやたら増えて不便だが、大連では信号が少なく、大きな交差点でも信号の無い所が多い。信号があっても無視する。おまけに、その幅広い道を横断する人があちらにもこちらにも沢山いて、そのすぐ側を警笛をけたたましく鳴らし速度も落とさぬ車がすり抜けていく。あまりに危険で、心臓が止まりそうだ。中国では、心臓や足の悪い人、高齢者は外出禁止令が敷かれているのも同然だ。富山で不要の信号をどっさりと中国に寄付し、中国人には交通規則を守って貰うと丁度良いと思った。
大連大学
車は40分ぐらい走って、チャンさんと言う紳士を乗せた。後で祝君に聞いた話では、生物学、電子工学、数学の三つの博士で、しかもその内の2つは同じ日に取得したという大秀才である。年は40代前半で、宋さん同様、大連大学副学長だそうだ。宋さんにしても40代後半の若さである。この様に優秀で企画力のある人が中心になって、学生数1万人の大連大学を引っ張っている様だった。

大連大学正門。日本語学会参加者を歓迎する赤い横断幕がかかっている。
どこかの国では、学閥がはびこり、本当の学問的実力や行動力が軽視され、杓子定規で融通が利かず、長い物に巻かれる、いわゆる官僚タイプの老人が権力にしがみついて、威張っている。これは、大学だけでなく、政治も経済も、あらゆる分野で言える様だが、大連大学では大会でお会いした学長代行にしても50歳代で、見るからに優秀で気さくな人柄であったのが新鮮で印象的だった。
学生は全寮制で、キャンパスの中に寮がある。我々の様な訪問者の宿舎も大学の中にあり、ホテル兼会議場となっている。地階と1階が会議場で、上階はホテルの個室。会議をするにはとても便利である。祝君が泊まる手続きをしてくれて、4階の気持ち良い部屋に無事落ちついた。
聖亜海洋世界(水族館)
翌日は学会がまだ始まらない。そこで、前日初めて会ったトルコの三月十八日大学(3月18日は英国のトルコ侵略に抵抗してトルコが勝利した日)で日本語を教えている広瀬研也氏を誘い、祝君の案内で、大連の南の海に臨む星海公園にある聖亜海洋世界に水族館や自然博物館を訪ねた。大学からバスと電車を乗り継いで一時間半程だが、水族館には、昨年三重の鳥羽水族館で見たような海底トンネルの上を沢山の魚が泳いでいたり、白熊やペンギンが間近に見られ、またジュゴンやマナティーも居るので大人も子供も一緒に楽しめる。
さて、今回は藻について殆ど何も述べることなく紙幅がつきた。ちっと藻の話で恐縮であるが、藻については次回に譲る事にしたい。 (つづく)
2004年8月
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