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「330000」
  07.04.30 沖縄の海藻文化
 

沖縄の海藻文化  032月掲載    

二人の久米仙人

 今は昔、大和國吉野郡の龍門寺で、あづみと久米の二人が仙人になる修行を積んでいた。あづみが先に仙人となり飛んで空に昇った。後で久米も仙人になり、空を飛んでいると、吉野河のほとりで若い女が衣の裾をかき上げ、白い足を出して洗濯していた。久米は女の白い足を見て心乱れ、仙の力が脱けて女の前 に落ちた。久米はその女を妻とし、普通の人になって暮らしていた。その後、天皇が高市郡に都を造営し、久米も人夫として働いたが、昔を知る男達が久米の事を「仙人、仙人」と呼んでからかう。役人がその訳を聞いて、これは貴い方だ。昔仙人だったのならその徳がまだ残っているだろう。空を飛ばしてこの材木 を運んで呉れないか、と言った。久米は修行し直して仙の力を回復し、空を飛ばして材木を都に運んだ。その材木で建てたのが久米寺である(今昔物語集・巻 11、一部意訳)。

 また昔、琉球・久米島の北部、宇江城(うえぐすく)山麓・堂部落の井泉堂井(いせんドーガー)に、夕暮れともなると絶世の美女が現れ、野良仕事帰りの 若者達に神酒を振る舞い、言い知れぬ酔い心地へと誘った。人々はいつしかこれを宇江城山に住む仙人の仕業だと噂した(琉球泡盛 Q and A)。


久米島

 ところで、久米島には20006月、沖縄県海洋深層水研究所が開設された。所長であった当真(とうま)武博士は、前にも書いたが、ウミブドウ(クビ レヅタ)やオゴノリ、モヅク、オキナワモヅク等の養殖の研究者だが、昨年三月の停年前に一度来ないかと誘って下さった。古来、久米島は沖縄本島と台湾・ 中国を結ぶ中継地で、那覇から西へ100キロ、船で1日。今はフェリーで2時間弱、飛行機だと約30分。そこで三月半ば、大阪から那覇に飛び、乗り継いで久米島空港に渡った。当真さんが、空港に出迎えて下さった。


宇江城(うえぐすく)城跡と泡盛(あわもり) 

 当真さんはまず、標高310メートルの宇江城山頂の城跡に案内して下さった。途中で、亜熱帯植物アダンの木の前に車を置いて山道を登ると、本州にもあるソテツ、トベラ、ハマヒサカキなどが自生し、心和む。城は、琉球を統一しようとした第一尚王朝(1406-1470)に抗して築かれた。今は石垣が残るだけだが、海がよく見え、初夏の風が爽やかだ。城内から中国製磁器が多量に出土し、中国との関係の深さを物語る。

 その後、琉球泡盛「久米島の久米仙」の醸造元に行き、話を伺った。それに依ると、沖縄は気温が高く、本土の清酒は作れない。泡盛はタイ米に黒麹(くろこうじ)を発酵させた蒸留酒で、15世紀頃タイから製法が伝わった。珊瑚礁の島、沖縄の水は一般にマグネシウムやカルシウムを適度に含むアルカリ性の水で、微生物である黒麹の発酵に必要な成分が適度に含まれ、泡盛の醸造に適している。井泉堂井(ドーガー)の水は、雨の少ない年でも枯れることがなく、現 在久米島の久米仙の源泉である。地下倉庫(3050メートル)はやや低温で、高さ約120センチ、180リットル入りの瓶(かめ)が所狭しと並んでいた。瓶に移して寝かせるとコクが出て年々旨くなる。店には猛毒のハブの入ったハブ酒も並ぶ。滋養と強壮効果があるそうだ。私は土産に泡盛を一本買った。

 

深層水と海藻の養殖

 沖縄県海洋深層水研究所に着いた。周囲はサトウキビ畑だが、所内にはアヤメやシランの赤紫色の花が咲く。バナナやサトウキビ、アダンは奄美大島以南の亜熱帯植物、杉やアヤメは屋久島以北の温帯植物なので、研究所の内と外にその違い、渡瀬線を感じる。

 深層水は冷温性、清浄性、富栄養性が三大特徴である。汲み上げ量は、久米島が国内最大で一日13000トン、室戸・静岡が4000トン、富山県水産試験場は3000トンである。富山では、水深321メートルから摂氏1の深層水を汲み上げ、北海道で育つマコンブ等を育てている。深層水の研究や開発に関してはアメリカが進んでいて、汲み上げ量世界一はハワイ自然エネルギー研究所の1日86000トンだそうだ。

 久米島の深層水の取水口は海面より低い。サイフォンの原理を使い、直径25センチの継ぎ目の無いポリエチレン管で、水深612メートルの深海から、水温9の深層水を地表まで汲み上げるが、水温はその間に1011になる。この冷水を冷房の他、冷温農業・水耕栽培に利用し、ホウレンソウ、サラダ菜、イチゴなどを栽培し、また開花時期を温度調節してコチョウランも育てる。こうして約16に暖まった深層水で、クルマエビ、ヒラメ、オゴノリなどを養殖する。さらに、富栄養性の深層水は表層海水と熱交換して2023に暖め、夏場に枯れるイトモヅク・モヅク、それに沖縄原産で沖縄本島の研究所で養殖に成功したクビレオゴノリの系統維持にも使われる。研究員の須藤裕介さんに依ると、イトモヅクヤやクビレオゴノリについては、夏期の高水温で藻体が枯れたり、成長が鈍化する為、深層水の低温性を利用して母藻維持の試験を行っているそうだ。クビレオゴノリを寒天のように溶かし、ツナ缶を入れて固めたのがモウイドウフで、人気がある。

 フロリダ原産のハワイオゴノリ(写真)は、ハワイで養殖されてアメリカ本土にも送られ、サラダや料理に使われる。当真さんや須藤さんに依ると、普通の海水で培養すると月に2倍程にしか増えず黄色味を帯びるが、深層水だと富栄養なので月に10倍程に増え、鮮やかな赤色となる。普通のオゴノリと比べ亜鉛やカロチンの量が多く、1kgあたり500円で出荷されるそうだ。

 その夜、研究所近くの南東食楽園で歓迎会をして頂いたが、アメリカンオゴノリ巻という海苔巻は、ハワイオゴノリがたっぷり入り、健康に良さそうだった。歓迎会に来て下さった玉城英信さんはクルマエビの専門家である。クルマエビはウイルスが付いて死にやすいが、深層水にはウイルスがいないので元気に育つ。この事業だけでも、深層水の経済効果は7億円を超えるそうだ。


フロリダ原産でハワイで養殖の進んだハワイオゴノリ(Gracilaria tikvahiae)。有性生殖は行わず、無性的に増殖する(当真武博士提供)。スケールは10センチ。

 

深層水の塩とミネラル水
 久米島海洋深層水開発という会社を訪れた。会社の方の説明に依ると、大型車で搬入した深層水は、逆浸透膜で水分を減らし、更に水を蒸発させ、固形分を木綿袋に入れて苦汁(にがり)を落とし、乾燥させると純白の塩になる。苦汁は水に溶かしミネラル水、球美(くみ)の水、として売られる。深層水は清浄で、アトピー性皮膚炎などのアレルギー症状を治す力があり、人気が高いのだそうだ。


死後の色は緑藻と褐藻?

 翌日は須藤さんにあちこち案内して頂いた。沖縄には、中国福建省由来の亀甲墓(きっこうばか、挿し絵)という亀の甲に似た墓がある。墓は母胎で、墓の入り口は産道。人は死ぬと母胎に還る、という考えで、復活の意味も込められているようだ。昔は墓の大きさで家格が決まったので、墓に金をかけた。富山大学医学部の敷地に隣接する杉谷古墳は、古代朝鮮の高句麗や島根・鳥取などにも見られる四隅突出型古墳の分布上の東端だが、四隅突出型古墳ももしかしたら 亀をイメージしたのかも知れない、と私は思った。

 久米島と沖に浮かぶ奥武(おう)島との間には緑藻のアーサー(アオサ、つまりヒトエグサの方言)がびっしり生えていた。奥武島にはウミガメ館があり、海岸の有名な畳石にもアーサーが生えていて、海は緑色である。珊瑚礁の内側の浅瀬はイノーと言うが、そこでは褐藻のモヅクの養殖をしていて、海は黒くなっていた。

 奥武島は沖縄各地に数カ所有り、いずれも主島近くの小島か岬で、昔は人を葬り、霊力のある所と考えられたそうだ。奥武島の(おう)は青、即ち緑の意味である。沖縄の珊瑚礁の海は、緑藻の種類が多く、緑色に輝く。つまり、死後の世界は青い(緑の)海で、また海から新しい生命が生まれると信じられた。

 一方、温帯や亜寒帯の日本本土や朝鮮半島の日本海は、緑藻よりも褐藻の種類や量が多く、黄色がかった褐色の海である。古事記の黄泉(よみ)の国は死の国であるが、黄泉の黄色は、ホンダワラやカジメなど褐藻の生い茂った海の色に由来するのではないだろうか?沖縄との色の違いは緑藻と褐藻の違いで、死後海に還り、海に霊力があり、海から生命が誕生したり復活するという、出雲でも見て来た考え方は共通ではないだろうか。

 1603年から05年迄琉球に滞在した福島県出身の浄土宗の高僧・袋中(たいちゅう)上人の琉球神道記には、「琉球は龍宮の発音で伝承に龍宮世界とある。那覇は阿那婆多(アナバッタ)龍王の住居であろう。現在、那婆(那覇)と略している」と記している。古来我々は、琉球、那覇、首里城などに龍宮城を重ね合わせ、生命力と霊力を感じてきたのかも知れない。

クョスコニョ    [1] 
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