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  07.07.03 スイゼンジノリ
 

絶滅危惧国 
 或る京都人の酒のまずくなる話:世の中、えらい物騒になった。暴力団組長が世界を支配してるようや。言うたらなんやけど、頭も人相も悪そうやし、演説を聞いても深みがない。大統領になったら世界は悪なるやろな、と選挙の前から思てた。選挙で不利になると、フロリダの開票を止めて組長になった。日本はトバッチリを受けんように、と心配してたけど、案の定、福祉を削減し、大金持ちや大企業の税金をまけ、貧富の差を拡大し、日本も構造改革や言うて真似してる。イスラエルが、パレスチナの占領地から撤退せえとの国連決議を破って居座っても、知らぬ顔のブッシュやのに、PLOが投石したり自爆して抗議すると、テロや言うてアラファトを幽閉してるシャロンを助けた。シャロンは図に乗り、戦車で暴れ、ヘリコプターから爆弾を落とし、ミサイルまで発射して多くのパレスチナ人を殺したのに、今だにシャロンとは仲がええ。一昨年のニューヨークの9.11事件は、犠牲者には気の毒やけど、組長に罰が当たったんや、と直感した。ところが、テロとの戦い、とか聞き慣れんこと言うて、アフガニスタンで大量殺人した。イラクに対しても、大量破壊兵器を廃棄せえと散々脅して防衛力を奪って、国連安保理の決議も無視して、フセインはイラクから出て行け言うて戦争した。大量破壊兵器を一番持っとるのはアメリカと違うんかいな?ラムズフェルドなんか、イラン・イラク戦争の時は石油欲しさにバグダッドまで行ってフセインと握手してたやないか。こら、欧米が植民地戦争を繰り広げた19世紀の帝国主義時代に逆戻りしたような、弱肉強食の、石油目当ての侵略行為や。アメリカの大統領やったら、インディアンを虐殺する保安官みたいな、下品で好戦的で無教養な演説やめて、世界の平和、京都議定書批准、貧乏人・貧乏学者の救済、に努めて欲しい。そしたら、世界はもっと良うなる。
 日本はアメリカの植民地やない。何でもアメリカ追随で、政治・経済・文化・大学などみな改悪して、優れた日本の自然や産業、伝統文化を捨ててる。これでは、日本は日本でなくなる。アメリカに吸収合併される、絶滅危惧国、やないやろか・・・。

スイゼンジノリ
 絶滅危惧といえば、藍藻(らんそう)のスイゼンジノリの場合も深刻である。同じ藍藻類でも諏訪湖や霞ヶ浦などで毎夏繁殖してたアオコ(Microcystis)や、どぶ川に生息するユレモ(Oscillatoria)のように、富栄養で有機物の多い止水環境に住む藻は絶滅の心配はなさそうだが、清冽な流水環境に棲む藍藻は激減している。スイゼンジノリは、世界でも福岡県甘木(あまぎ)市・久留米市や熊本県の熊本市・嘉島町など、湧水の豊富な九州北中部の川に生息していた絶滅危惧種で、天然記念物であるが、今は湧水の豊富な川がなくなり、甘木市や嘉島町などで人手をかけて生き残っている。スイゼンジノリは、5〜6ミクロンx7〜9ミクロン(1ミクロンは千分の1ミリ)の楕円形または球形の暗緑色の単細胞が、厚さ1ミリぐらいの寒天質の中に多数埋め込まれて群体をなし(写真)、それが10平方センチ位の大きさに成長したものである。
 ところで、地球は46億年程昔に生まれ、藍藻は35億年程前に発生したと言われる。藍藻は、細胞の中に核を持たないので、遺伝子(DNA)は裸の状態で細胞の中央にある。光合成色素のクロロフィルaやフィコビリンを持ち、地球に最初なかった酸素を生産してきたが、形態は様々である。健康食品として有名な藍藻のスピルリナ(Spirulina)は、スイゼンジノリ同様単細胞ではあるが、ラセン形である。富山で有名なアシツキや、芝生の上に転がっているイシクラゲ、あるいはモンゴルの砂漠に育ち、近年、健康食品として知られる髪菜(ファーツァイ、本シリーズ「ご先祖様の活躍」を参照)などは皆、念珠藻(ねんじゅも)属(Nostoc)の藍藻で、細胞が数珠(ずじゅ)のように連なっているが、普通に炭酸同化作用をして増殖する暗緑色の細胞、窒素固定をする無色の細胞、休眠して非常時に増殖する大きな細胞、と役割分担がある。また、連なった細胞が枝分かれする藍藻もあれば、細胞が多層の藍藻もある。ところが、スイゼンジノリは形がごく簡単な単細胞で、役割が分かれておらず、藍藻の中でも、最も原始的な仲間であろう。

水前寺公園と江津湖
 さて今年(2003年)の3月4日から熊本で水環境学会があった。私はスイゼンジノリを見たい気持ちもあって参加する事にした。水前寺公園成趣園(せいしゅえん)前の大通りに面したホテルに夕方着き、スイゼンジノリについて尋ねると、熊本では絶滅したようだが、近くの上江津湖(かみえづこ)に記念碑が建っていると教えてくれた。そこで、ホテルの近くを流れる藻器堀(しょうけいぼり)川に沿って水前寺公園とは逆の南の方へ逍遙をした。右手の川には多くの鴨が羽を休め、左手には夏目漱石や中村汀女の句碑が見える。途中、自転車を押している小父さんに道を尋ね、下江津湖(しもえづこ)を経て上江津湖にたどり着いた。近所の初老の男性の話に依ると、昭和28年に大洪水があり、江津湖は土砂で埋まった。その土砂をスイゼンジノリの生息地付近に集めて島を作ったら、スイゼンジノリが激減した。僅かに残った生息地に生活排水が入り込まないようにとコンクリートで仕切り、その上に金網を張って人が近づけないようにし、「国指定天然記念物スイゼンジノリ発生地」と書いた柱を建てた(挿し絵)。柱には、「水前寺成趣園の湧水は、ここ上江津湖に流入していますが、この水域に自生する茶褐色で不定形の藍藻がスイゼンジノリです。九州の一部に自生する日本特産の藍藻類で、生育条件は大変厳しく、現在はこの上江津湖の特別保護区の中でようやく生育している状況です。古くから特産品として賞味され、江戸将軍家への献上品でもありました。吸物は先ず出だされしすいぜんじ、芭蕉、の句でも知られています」とある。流石、お役所仕事である。碑を建てるのがうまい。ところがこのコンクリートの仕切は、それまでこの区画に流入していた豊富な湧水を遮断する事になって水が淀み、スイゼンジノリにとっては致命傷となったようだ。夕闇迫る江津湖の碑の近くで呆然と佇んでいたら、最前の自転車の小父さんにまた会った。一緒にぶらぶら歩きながら、近くに食堂はないかと尋ねると、湧心庵(ゆうしんあん)と言う小料理屋がボート乗り場の向かい側にあると教えて呉れた。
 湧心庵は私と同年輩の仲の良い夫婦が経営していた。主人は白髪だが、髪が多い。奥さんは棟方志功の版画に登場する豊満な美女を思い出させる。尋ねると、甘木市から取り寄せたスイゼンジノリがある由。私は、ウナギ丼とスイゼンジノリを注文した。スイゼンジノリと店が気に入って、翌日は、久しぶりに学会で会った藍藻アオコの研究者、山下尚之博士を誘って再度訪れた。三日目は、藍藻のファーツァイや緑藻のドナリエラなどを研究して健康食品を作っている、マイクロアルジェの竹中裕行博士を誘い、スイゼンジノリを三度食べて楽しんだ。ところで、スイゼンジノリ自体は無味無臭。そのままだと味の無い海苔と言う感じで、美味しいともまずいとも言いようがない。三杯酢にしたり、吸物に入れると口当たりが良くて美味しい。
 湧心庵で食べたスイゼンジノリは、福岡県甘木(あまぎ)市屋永(やなが)の、遠藤金川(かながわ)堂が養殖したものであった。金川堂の遠藤秀雄さんに依ると、今から約250年前の江戸時代、遠藤家の先祖がスイゼンジノリを調理し、黒田藩の殿様から川茸(かわたけ)と言う名前を頂戴し、大切に育てて今に至るそうだ。今は、自然の川の湧水の他、井戸を掘って水を汲み上げ、水温17〜23℃で年中栽培している。また、嘉島町では丹生(たんせい)慶次郎さんが小規模ではあるが、井戸水で栽培している。
 スイゼンジノリは、大伴家持が「雄神川 紅にほう 乙女らし アシツキ取ると 瀬に立たすらし。萬葉集17(4021)」と詠んだアシツキ同様、年中綺麗な湧水があり、水温が安定した川に棲む藍藻である。このような藍藻を育てる事は、いにしえの美しい日本の自然を守る事であり、それは、欧米の自然とは異なった日本の自然に根ざした伝統文化を守り育てる事でもある。それはまた、日本が「絶滅危惧国」から抜け出す道ではないだろうか。

2003年4月

クョスコニョ    [1] 
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